要キャプション。

2013年2月20日(水) 「卒業」からの卒業

写真/文・鎌田浩宮

僕は、あっちの世の中では、3度目の高校に通っている。
あっちの世の中とは、寝ている時に見る夢の世界だ。
こっちの世の中で後悔しまくりの高校生活だったため、もう1度高校に通いたいという願望が強すぎて、あっちの世の中で46歳にして高校に再再度通っているのだ。
あっちの世の中で高校に再度入学し、1度卒業したんだが、さらにもう1度入学している。
なので夢の中では、学生服だったり、校舎の中だったりする。
ただし時系列は現在、つまり2015年なのだ。
なので高校に通いながらも、こっちの世の中と同様2001年から2009年までは、用賀にあった会社にも勤めていたことになっている。

今朝は夢の中で、その会社の社長が出てきた。

社長・沖野純子は、こっちの世の中では2007年に急逝した。
64歳だった。
パワー・ハラスメントで数々の部下をノイローゼになるほど追い込み退職させた彼女の葬儀は、参列者も少なく、寂しいものだった。
プライベートの友人の参列者は、5人しかいなかった。
しかも我々には内緒で既に離婚しており、旦那の親族の参列もなかった。
とにかく、わがままで強引で自分勝手なワンマン社長だった。

当時の僕は、パワハラで責められている同僚を晩飯に連れて行き、慰め、あなたの味方ですよと励ます日々だった。
本来そういったことは、僕の上司である部長連中がすべきことなんだが、彼らは卑怯にも、見て見ぬふりだった。

時に僕は彼らの代弁をし、社長に食って掛かった事もあった。
社長に逆らう者など皆無だったので、社長は口をあんぐりとしていた。

しかし何故か、僕は社長に好かれていた。
忘年会などでは、必ず社長の指示で隣に座らされた。

今朝見た夢は、そんな社長が
「今日でこの会社も倒産よ!最後の給料をあげるから、皆いらっしゃい!」
とシャウトしているものだった。

この夢が無茶苦茶なのは、それが校舎の中だったのだ。
社長は、教室の机に座って言った。
「鎌田君、あなた内緒にしている事あるでしょ。全部言いなさい」

僕はよく、死んだ人の夢を見る。
残念ながら、浪はなかなか夢に現れないんだけれど、實おじさんも、旧父(キューパパ)も、あっちの世の中ではよく微笑んでいて、ほっとするんだった。
今朝の社長は、1匹生贄を食い終わった後のジャバ・ザ・ハットのように、満足気な顔をしていた。

僕は、他愛もない内緒事の1つを打ち明けたところで、こっちの世の中に戻った。

実は去年、社長の墓参りをした。
映画「鎌田浩宮 福島・相馬に行く」広島ロードショウを催した、広島駅から1駅の横川シネマから、なんと歩いて10分の寺に、社長のお墓があったのだ。

僕は墓石をたわしで洗い流しながら、
「誰も墓参りに来ないんでしょ?社長、皆に恨まれてたから仕方ないんですよ!僕は来ましたけどね」
と、声に出してお喋りした。
こっちの世の中では、社長は声を出すことができない。
むすっと黙ったまま、洗い流されていた。

言っておくが、こっちの世の中では、2度と高校生活なんぞやり直したくない。
46歳に教科書見せても眠くなるだけだ。
サラリーマン時代にも、戻りたくはない。

でも、僕は卒業という縁切り行為ができない性分なんだろう。
卒業から卒業しちまって、46年間の中での区切りのポストイットを貼るのをやめちまった。
「卒業」からの卒業。

昨晩も、クドカンのオールナイトニッポンを聴いてから寝た。

グループ魂、結成20周年だそうだ。
20年も経ったなんて、信じられない。
魂もうちらも、おっさんバンドだ。
カッコEぜ。





2015.05.13

1979年10月25日(木) ユー・メイ・ドリーム

文・鎌田浩宮

ロックの、
人間の、
すごさ。

 

僕は、それほど熱心な聴き手では、なかった。
ただ、YMOが全面的に参加した「真空パック」は、小学生の頃、夢中になって聴いた。

それから十数年経って、細野さんが再びプロデュースを手掛けた「@heart」も、素晴らしかった。
「MAKOTO IS MY LOVE (TOMORROW BEACH)」や、細野さんとの友情を歌った「OLDSMOBILE ROCK」、サイコーの曲がサイコーのアレンジで紡がれていた。
細野さん自身も、50年代やそれ以前の音楽に傾倒し始めていた頃で、誠のギターやドラムスのタムの音が、とってもいいんだ。
ただの「ピコピコ」じゃない、ビートルズ以前のロックの音。

ロケッツのファンの中には、細野さんのプロデュースは「ピコピコ」していて嫌だ、という人もいるだろう。
だけど、シーナと誠と細野さんの信頼と友情の揺るぎなさを感じられる、この2枚。

シーナが旅立った時の細野さんのラジオの完全採録を読むと、シーナと誠が東京に来た時、細野さんとマーコさんと4人で、契約の話もしたそうだ。
それほどに、古く、深い間柄だったんだ。


ああ、大好きな曲。「スイート・インスピレーション」

シーナ&ザ・ロケッツというバンドは、正統派のロックバンドであり、3コードであり、しかし時にはテクノポップ寄りになったり、阿久悠に全作詞を任せたアルバムもあるし、「スイート・インスピレーション」のような、あたかもモータウンのようにメロディアスな曲もあり、様々なものを貪欲に取り入れる事を、恐れないバンドでもある。

先日、BSフジで、『シーナ&ロケッツ 35th ANNIVERSARY”ROKKET RIDE TOUR@野音”2014.09.13』が、放送された。
もうメンバーは、シーナの事実を、知っていた頃だ。

誠がヴォーカルを取る曲が、多い。
シーナは、時々ステージに出てくる。
その時のシーナは満面の笑顔で、ぴょんぴょんと飛び跳ねてさえ、いる。

細野さんとの、友情。
そして、自身の代表曲としての、誇り。
アンコール前のラスト、この曲が演奏された。
俺が11歳の頃、1979年発表、「you may dream」

シーナはだいぶ前から喉を痛めていて、もう声は出ないのに、昔とキーを変えずに歌う。
半ば、声は出ていない。
なのに、どの声よりも、僕らのソウルを揺さぶってくる。
涙が、止まらなくなった。
シーナって、すげえな。
シーナ&ザ・ロケッツって、すげえな。
ロックって、すげえな。
音楽って、すげえな。
芸術家って、すげえな。
人間って、すげえな。
こんなに、すげえんだ。

死期を知り、その直前まで、燃えかすもないほど、燃え尽くす姿に、泣いたのだ。
俺は、そんな生き方が、できるだろうか?

敢えて、このライヴの動画は、ここに掲載しません。
耳を澄まして、みて下さい。
聴こえてくるでしょう?
シーナの、歌声が。

Sheena & the Rokketsが、聴こえる。

「サイコーのバンドよ。本当に、私の夢よ。皆、夢を持って頑張ってね、私みたいに。いつも夢を、忘れないでね」


2015.03.18

2009年2月11日(水) 地上の星

文・弥生

化粧室、電車内、カフェなどで、
20代位の女の子達が
ワイワイと友達のうわさや
恋バナに花を咲かせる姿
を見ていると、

「楽しそうだな~」とか
「あの頃の戻りたいな~」

とかではなく、

「大変そうだな~」

と思ってしまう自分が、
最近いたりする。

あの頃って、ムチャクチャ自尊心が強いクセに
周りとの調和も考えてみたりもして、
周囲の人の様々な価値観に触れるたびに、
「これでいいのか?」みたいな妙な不安とか、
「私の生き方のほうが素敵だし!」みたいな対抗心が出てきたりして、
すっげー疲れたんだよね(私だけ?ww)。

でも今(YES! JUST40!)って、

自分と、
自分が好きな人達 がシアワセである。

以外のことは、別に大事じゃないので
(本当に、心からそれしか考えてないw)
いつ何時も、何かを迫られた時の選択基準がはっきりしてるし、
中途半端にしがらみを感じる事もないし、
離れてもイイ人、嫌われてもイイ人であれば、
関係が悪化しても、その人から不当な評価を受けても全然気にならない。

だって私もその人、キライだもん。大抵w

でも、この年齢でコレを声を大にして言うと、
「年取って図太くなってるだけじゃん」
「羞恥心がなくなってるだけでは?」 って言われるから、いわんけどねw

・・・とマア、そんなことをユルユルと考えていた時に、
TVに「大事MANブラザーズバンド」の人が出てた。

大事MAN! 懐かしい! 元祖一発屋!w

でもこの人(名前忘れた)の話がかなり面白くて、
要は、

大事MANが「それが大事」がバカ売れして周囲が激変
↓↓
2作目を強く期待されたものの、次のヒットが全然生まれない
↓↓
翻弄されまくって、本人が作曲において
もはや「何が大事」なのかわかんなくなってしまったw
↓↓

結果、出した結論が、

「オリジナル曲は作らない」。

つまり、自分が昔好きだったアーティストのカバーを
やってる時は最高に楽しいので、一旦原点に戻り、
その「楽しい」という自分の気持ちに、しばらくは素直に従おう

と、そういうワケです。

……い~や~。

なんかイイ話じゃない? 笑い話として話してたけど、
絶対本人は超苦悩したはずだし、結構示唆に富んだ話だなと思って、
楽しく聞いていました。

と、そんなわけで今回は、さすがに「大事MAN」の事は
文章書くほど思い出がないのでw、「カバー曲」に関して(前フリ長っ!)

私の友人で、
「カバー曲をipodに集めて“誰が歌ってるかクイズ”を渋滞中の車でやる」
っつー特技を持ってるヤツがいて、それが渋滞を忘れさせてくれる
素晴らしいアイテムなんだけど、その中にあった1曲が、
最近はお相撲でおなじみ、デーモン閣下が歌う、
中島みゆきの「地上の星」

デーモン閣下って、あのメイクと年齢wで「色モノ」の部類に
入れられがちだけど、ロックとしての歌唱力がしっかりある人なのよね。
・・って改めてカバーを聴いて感心。

あとは、私の中の永遠のヒーロー、奥田民生のくるり「バラの花」のカバー。
も~なんとも言えないユル~イ空気が漂うんだよねー。
おやつタイムとかに聴くと、ホント眠くなるw
そーいや民生さん、RCの「スローバラード」もカバーしてたよね。

どんな歌をカバーしても、必ず「民生風」になるんだけど、
どんな時も原曲へのリスペクトが感じられるあたり、さすが私のヒーローw

今の社会って個性だー、オリジナリティだー って言われがちだけど、
音楽でもスポーツでも、「人を真似る」っていうのは上達の原点だし、
たまには肩の力を抜いて、カバーに身をゆだねるっていうのも、
心安らかになるかもですヨ(今回音楽の話があんまなくてスンマセンww)。

僕も、
絶対20代とか、
戻りたくないです。
絶対、しんどいですよね。
あの時、
買ってでもした苦労、
もー、したくない。

唯一、
高校時代には戻ってみたい
と思ったことがあったんですが
(毎日悪友とナンパとかしまくって、フラれまくったりして、
当時とまるで違う軟派な高校生、してみたいという欲求からです)
いやあ、勉強とか絶対面倒臭くって
もう死んでも教科書とか読みたくない
心の老眼は向学心をもむしばんでおり
これもパスです。

と、
今回もひとしきり
共感させてもらいまして。

早く来い来い60代。

(鎌田浩宮)


2015.02.23