第七夜:「トンネル抜ければ・・・」

diary_006

けい子(仮称)です。
今日は台風のおかげで随分涼しい一日となりました。
ま、台風が過ぎたらまた暑い日々がやってくるんでしょうが・・・。
それでもこの数日は夕暮れ時になれば涼しさも漂い出していました。
これならもうすぐ私のナメクジ生活も脱せそうです! 早く来い秋っ!
ちなみに、ナメクジとはカタツムリが殻を捨てた姿ではないんですね。
最近お客様に笑われました・・・。
私、ナメクジは「家なんていらねぇ!俺は一人で生きるぜ!」みたく、
超アウトローな漢なんだと子供の頃からずっと思い込んでおりました。
一生の不覚です・・・。
 
 
当旅館の玄関にはそれほど大きくない絵が一つ飾られております。
それはかの巨匠・山下清画伯の絵。
あの芦屋雁之助さんのイメージからはあまりに想像できない(失礼)、
詳細なスケッチ画。 森の木々に隠されながら、小さく遠くに佇む
当旅館らしき建物と白い山々が同居する絵。
まあ、それが本物かどうかは定かではありません。
ウチのボス(大女将)が言うだけですし。
ちなみに画伯、放浪先ではあの貼り絵などは描かれていないそうです。
ほぼ全ての作品は画伯が自宅に戻られてから記憶を辿って描かれたとか。
彼の作品は全て「絵日記」のようなものだったとも、
画伯を知る血縁の方がテレビで言っておりました。
あれ? ・ ・ ・ じゃあコレって ・ ・ ・ やっぱし ・ ・ ・ 。
でもいい絵なんです。
森の奥にある建物が森と喧嘩していなくて、多分ヒトの目線
なのでしょうね、その旅館を愛おしく見つめ、近づいていくよな。
人恋しさと、自然の温かさと厳しさ、多分一人身の自分を知っている、
そんな絵。
接客で心が痛くなった時この絵を見ると、お客様にもこのような
お気持ちでこの旅館を求め、訪れて頂きたい心と、それを期待し、
こちらも心尽くしのおもてなしを誓った事を思い出させてくれるのです。
だから私と、板前のトップである正樹さん(通称マサさん)だけは
この絵は山下清が書いたものだと密かに信じていたりもします。
あ、大女将もか。 う~ん、それはおいとこう・・。
 
 
通称マサさん。
年齢は私より少し上の巨漢な花板。 That’s元・流れ板。 バツイチ。
流れ板と言っても本当に「ザ・シェフ」的なものである訳もなく、
ちゃんとした料理専門の派遣会社に属し、新装開店するお店などに
応援にいくという、腕の立つ料理人にしかできない職業の事です。
そんなマサさん、流れ流れてウチに来たのはほぼ私と変わらない頃でした。
日本各地で働いた事もあって、マサさんの料理の知識はとても豊富。
そして技術も大変素晴らしい!
こんな田舎だと「郷土料理やってます!」だけで自慢する旅館なども
少なくはないのですが、海に面しているわけでもないこの土地だと、
どうしてもメニューの面白さや新鮮さなどは打ち出しにくいものです。
新メニューなどは昔から大女将や板場のメンツで練ってきましたが、
マサさんが花板となり板場を仕切るようになってからは、
その知識と技術のおかげで随分とウチの料理に幅が生まれました。
地のモノと少し変わった他県の旬の食材を足しつつ、高度な調理法で
整え、誰もが食べやすく、且つ美味しく頂けるという優しい懐石料理に
シフトしていけたのは、確実にマサさんのおかげです。
ま、大女将がグイグイ来なくなってからは、
私の食通っぷり(※昔、美味しいものを東京でたらふく食べさせて
もらった経験があるもので・・・)も活かし、最近の新メニューの殆どは
私とマサさんとで創っています!
初夏に「鱧(ハモ)を出したいね」と言ったマサさんの心意気に、
反対した大女将を黙らせた私、エライ!
いや、私が食べたかったの・・・なんていえないけれど・・。

そんなマサさんは全然偉ぶらない、仏の如きお人です。
先代のツネ吉さんから花板を継いで尚、誰にも大声を上げず、
丁寧に仕事をし、丁寧に語りかける。
見た目のゴツさ、無口さとは裏腹に誰にでも優しいから、
若い仲居たちにも人気があります。

当館では朝食も朝にしっかり作ります。
普通の旅館では朝食をわざわざ朝に作るなんてあまりしません。
それは本当に大変な事だからです。
とはいえ、なんとなくな朝食バイキングや、玉子と味噌汁、納豆、
塩からーいシャケ一つ置いて、おひつにご飯ドーン!
さぁ、空腹を満たすがいい! なんて事、ウチではしません。
お客様お一人ずつに炊き立てのご飯をご用意し、胃に負担が掛からない
一手間掛けた絶品おかずをチョイス。 そしてご飯が余れば旅先で
食べられるよう、全ておにぎりにしてお客様にお渡しします。
このようなサービスを考えたのもマサさん。
しかも花板なのに朝食作りのシフトにも週4も入っています。
もう神様です。
そんなマサさんに私が絶対の信頼を置いているのは、
仕事からだけの事ではありません。
現在の此処で、私の主人を知る数少ないメンツの一人だからです・・・。
 
 
先週、良くない事ではあるのですが二日に渡ってお客様が
お越しにならない日が出来ました。
「まあ、こんな機会もないから皆で飲みに行ってきなさいな」などと
あの鬼女将が気の利いた事を言うものですから、その晩は久々に
スタッフ一同で食事をし、行きつけのスナック(くらいしかないので)で
皆で飲みまくりました。 その時、不意にマサさんの隣に座ったので、
ずっと気になっていた事を聞いてみました。
 
   「マサさんは板前さんじゃなかったら、何になってた?」
        「うーん・・・・・・・・・・人形劇屋さん・・・」
 
その返答に流石のアタシも綺麗には反応できませんでしたが、
兄弟がなく、人形と遊ぶのが好きで、一度だけ連れていかれた人形劇に
物凄く感動したからだというマサさんのソレは、本心だと想いました。
前に聞いた話だと、子供の頃に一家離散から酷い貧乏をして、
その経験から食べ物にありつける職業を目指したというマサさん。
結婚後、ようやく店を出した頃に子供を事故で亡くし、
それがきっかけで離婚。 それから流れ板を始めたのだと。
相当に複雑で過酷な人生だったのかもしれないと、
人形劇のくだりから私は勝手に想像してしまいました・・。
食への、お客様への、ささやかな優しさも、心配りも、
もしかしたら離れ離れになった家族の誰かに食べさせたい気持ちから
生まれているのではないのかな、なんて。
無口なのも、もしかしたらまだ人形使いになりたい気持ちが
残ってるから、だったりして。
 
話の流れで私も訊かれてしまいました。
「じゃ、けい子ちゃんは女将じゃなかったら何をしていた?」と。
 
・・・・・私は、多分、あの人に会わなければ此処にいなかった。
若女将にもなっていなかった。 では何をしていた?
私は偶然にも色んな仕事を本当に経験させてもらってきました。
どの職業にも尊敬の念は今でも持っています。
それでも、そう質問されて私はしばらく返答ができませんでした。
 
もう、他なんて考えられないから・・・。 此処しかないから・・・。
 
そんな時、玄関にあるあの山下清画伯の絵を不意に思い出しました。
だから苦し紛れに「絵とか、旅行とかも好きだから、裸の大将かな?」と
いったら、マサさんは優しく「それは・・食っていけないねえ」と笑った。
私も笑った。 だからダ・カーポ歌った。
 
 

『野に咲く花のように』

野に咲く花のように 風に吹かれて
野に咲く花のように 人をさわやかにして
そんな風に僕たちも 生きてゆけたら素晴らしい

時には暗い人生も トンネル抜ければ夏の海
そんな時こそ野の花の けなげな心を知るのです

野に咲く花のように 雨に打たれて
野に咲く花のように 人を和やかにして
そんな風に僕たちも 生きてゆけたら素晴らしい

時には辛い人生も 雨のち曇りでまた晴れる
そんな時こそ野の花の けなげな心を知るのです
ルルルー ルルルルルルー ・・・・

 
 

2010.09.08