EPSTEIN TALKS ABOUT FUTENMA#8 「芸術家の、役割。」

5/19(水) 10:35 鎌田浩宮

おはようございます。

もー、ここ何日も、
この原稿やそれにまつわる諸々に携わり
1日がすぐに終わってしまう。
慌ただしい日々です。
ふうーっ。

僕やキヨシローも
敵味方を超えて愛し合おう
なんて事は歌ってないですよね。
ではなくて、
頭にきた事、腹の立つ事を
すぐに歌い出だす事。
そこが重要なんです。
それがロックなんです。

また、マイケル・ムーア監督の傑作
「ボウリング・フォー・コロンバイン」
でも描かれていましたが
他者に対する恐怖こそが
アメリカという暴力社会構造を生み出している。
国内で、市民は銃を自由に売買でき、
怪しき者を正当防衛の名の下に発砲でき、
国外で、怪しき国には即侵攻し軍を駐留し、
無実の一般市民を空爆し、
そして、沖縄を65年間も占領下に置いている。
正にakeyboさんの言うとおりです。

ところでakeyboさんが書いた、

>ただ「取り戻す」だけの要求するものを偽善者、
>腹の読めないキチガイと呼び忌み嫌う、
>結局のところ最も恐れている。

>まだ愛し合おうって段階じゃないので、
>どうもみんなで合唱って気分では僕はないのだが。

この辺、次回、
も少し分かりやすく書いてもらってもいいですか?

「声を上げるアーティスト、もっといてもいいんじゃないか」

話を戻しますが
僕が「love me tender」を
改めて書き出したのは
世の中にこのような重大な事が起きた時
音楽家、芸術家、文筆家、作家等の
いわゆる文化人が
今ここで声を上げないで、作品を発表しないでどうすんのよ!
という事なんです。

チェルノブイリの時の
キヨシロー、RCサクセションの動きは
目を見張るものがありました。

今皆が抱えている怒りや悲しみを
事件が起きてから時間をかけずに
しかも難解な問題を、極めて分かり易いストレートな歌詞で
表現し発表できる彼等を、
驚きをもって支持したものです。
(あーゆー時のキヨシロー、唯一無二の天才だぜ、と思ってます)

あの時は、
RCサクセションが「カバーズ」を発表した後、
連鎖的にブルーハーツや佐野元春も
各々、反原発の歌を発表しましたね。

音楽や芸術をアジテーションに使うべきではない
という意見は
受け手の側でも作り手の側でも
根強く残っています。

でも、RCの「カバーズ」は下世話で
ピカソの「ゲルニカ」は上質な芸術である、
とは決して思いません。
うちなんちゅ(沖縄の人)の音楽家も
ないちゃー(内地の人)の音楽家も
その怒りを歌にしてもいいんじゃないかなあ
と思うんです。
難解な問題を、分かり易く…。

♪沖縄を返せ 沖縄に返せ

そんな歌を、
以前、僕のライヴでカバーした事もありました…。

kiyoshiro (1)

5/19(水) 13:02 akeybo

「僕はそういう歌を作る気はない」

 いや、僕に作る気が全く無いだけで、
作りたい人は作ればいいし。それをとやかくいうような話じゃないですよ。

怒りを表明する = 音楽は武器だ!
武器として使う以上闘いだし、敵に聴かれて馬鹿にされたり、味方が恥ずかしくなるようなのは、結局利敵行為でしかないという、厳しい基準で製作しなければいけないだろうね。

>>ただ「取り戻す」だけの要求するものを偽善者、
>>腹の読めないキチガイと呼び忌み嫌う、
>>結局のところ最も恐れている。

>>まだ愛し合おうって段階じゃないので、
>>どうもみんなで合唱って気分では僕はないのだが。

>この辺、次回、
>も少し分かりやすく書いてもらってもいいですか?

ええっとね。
鎌田君はこう書いているよね
>他者に対する恐怖こそが
>アメリカという暴力社会構造を生み出している
そうだよね、またそれは日本も一緒で、日本の場合は無視、住民エゴのレッテル貼り、とかさまざまな根も葉もない風評、空気の暴力が表立っては強い訳だけど。

人間関係をゼロサムゲーム以外で考えられない萎縮した考え方に取り憑かれちゃってるってことがいいたかったんだけどね。

2010.08.09