序文 ; 鎌田浩宮

僕は、新宿に、何の思い入れもない。

物心がついた時には
唐十郎の紅テントも演らなくなっていたし、
フォークゲリラもいなくなっていたし、
新宿騒乱も終わっていたし、
新宿の高校に通っていた3年間も
思春期特有の、苦い思い出というやつばかりが残り
新宿に愛着を持つことなく、
歌舞伎町にも
思い出横丁にも
コマ劇周辺にも
西口高層ビル街にも
この作品の舞台となったゴールデン街にも
特段思い入れもない。

僕の大好きな仲井戸“チャボ”麗市が
彼の愛するホームタウン新宿を語る時も、
やはり新宿よりはチャボが好きだという事を
再認識するだけだった。

僕は、かつて芸術や文化や反骨や哀切を
熱を持って発信していた新宿を
肌で感じずに育ったのだから。

「深夜食堂」は、新宿、歌舞伎町沿いの、夜の大通りを
ゆるやかなスピードで駆け抜けるシーンで始まる。

凝った、特殊な撮影とは思えないのだが
いつもうるさく、汚く、カネの臭いと残飯しか
感じられなかった街のネオンが
なんと慰めを持って感じられるシーンなのだろう?

どうやって撮ったんだろう?
どうしたらこんな風に撮れるんだろう?
絶妙の速度で通りを駆け抜ける、
これ以上美しい新宿はあるんだろうか?

普段は決して聴かないフォークソングにも似た、
生ギター1本の鈴木常吉の歌が
このシーンにはこの歌しかありえないかのように
確信犯的に染み渡る。

シーンが切り替わり、
「深夜食堂」の厨房で
豚汁を作る絵に変わる。

飯を、作る。
これは、’60年代でも’70年代でもなく
芸術も文化も反骨も哀切も関係なく
たった今、昔と変わらず営まれている風景なのだ。

僕はこうやって、
このテレビドラマに引き込まれていった。

深夜食堂ポスター

2010.07.22