応募作品#6 昭和四十五年九月十七日木曜日 火山、川、犬、人のことなど

編集・鎌田浩宮

 

ブログのくせに長めの事業でこざかしい
エプスタインズ創刊10周年記念特別事業
「エプスタ随筆大賞」

随筆には、色々あります。
日常を描くもの。非日常を描くもの。
現在を題材に。過去を題材に。
私たちの「綴方教室」が、今日も始まります。

 

 

題:昭和四十五年九月十七日木曜日 火山、川、犬、人のことなど
著:名無シー
テーマ:おれは悪くない

 

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昭和四十五年九月十七日木曜日、夕刻から、秋田県中東部の奥羽山脈の山塊の中、秋田駒ヶ岳が噴火した。
噴火の様子は周辺市町村からも確認出来たが、それを目撃した人の思い出話によると、山が吹く火柱は線香花火の「柳」のようだったとも、ただ山が吐く赤い煙を空が映していただけだったともいう事で、皆思い出がそれぞれの記憶の中で色々に形を変えているのかも知れなかった。
同山から直線距離で四十キロメートル程離れた町の東部カンカン内の河岸段丘上の住宅地に建つ古い日本家屋の玄関で、小学一年生の少年が息を潜めて靴を履いている。
少年が夜陰に乗じてこっそり家を抜け出すと、三歳の弟がそれを目敏く見つけ、兄の後を追った。
二人は二百メートル程真っ直ぐ通りを進み、突き当たりの川の神を祀る神社裏、川岸の江戸期からの石垣の上に立った。
既に川端の住人達が暗がりの中に集まってきていて並び立って同じ方向を見ている。
神社裏の川原はグラウンドの様に広々としていて、空が開けて眺望が利く。
山脈の横に広がる黒い影のなだらかな凹凸の一箇所が、線香花火の「柳」の様な火を吹いているか、盛んに赤い煙を立ち上らせ、それが空に返照しているか、どちらかの状態をホログラムの様に交互に思い起こさせる。
火山は一際勢いを増して「柳」を散らし、若しくは煙を増量させ、北国の寡黙な人々も固唾を飲む合間に、「おおっ」と声を漏らす。
本当はそれは「おおっ」ではなく、日本や世界の他の地域の人々には発音できない「お」と「あ」と「う」の間の母音の弱鼻音化した響きだった。
それは橇を引く農耕馬の首に提げる土鈴のコロンとした響きのように、嘗て優しくこの土地の生活全体を包んで来た音だった。
後ろ姿の影絵を紺色の空に浮かべる小さい兄弟は、そんな声があちこちから聞こえる人垣に加わって、今となっては実態のつかめない火柱を見ていたのだった。

その年、その事件の少し前に一家には赤ん坊が生まれていた。二人の兄弟が火山を見に行っている間、赤ん坊は家で寝ていて、もう一人、一歳の幼児も同じ和室で寝ていた。
川端の二人と寝ている二人、それが私達四人兄弟だっだ。
四人兄弟が揃った年の出来事として、その火山の噴火の話を、父母や母方の伯父達から幾度か聞かされた。

川端の道は度々私達の生い立ちの話の舞台となった道で、火山を見ていた二人は、数箇月前にもその川端の道にいた。
末の弟が生まれたとき、その道を五百メートル程も歩いて病院へ行く道すがら、二人は野犬に追われた。
二人が病院に現れたとき、三歳の次兄の顔や手は引っかき傷だらけになっていて、産後で疲れ切っている母を心配させた。
長兄によると、犬はどれ程追い払っても次兄に纏わり付いて離れなかったということだが、本当は小さい野良犬を長兄が次兄に抱っこさせたところ、いやいやした犬に引っかかれたのではないかという疑惑もある。
次兄は真相を全然憶えていない(その四十数年後、嘗て病院があった場所の前の川原の夏草を、火山と同じ山塊の麓の農場の仔羊四頭連れてきて草毟りさせていたところ、たまたま対岸を通り掛かった散歩中のシベリア犬が突然目の色を変え、飼い主のリードを持つ手を振り切って石垣を駆けくだり、川を泳ぎ切るや仔羊四頭の首を次から次へ、あれよあれよという間に咬み千切るという事件があった事を母から聞いた。夏草の濃い緑、羊毛の入道雲のような白、鮮血の真紅。川原はイタリアの国旗のような様相を呈したという)。

犬を追い払うのに失敗はしたものの、長兄は私達弟達の面倒を良く見た。
人と人のことについては必ずしも器用な方ではなく、子供らしく至らないところも多かったと思うが、それでも普段弟達の様子には健気に気を配っていたと思う。
私も次兄も弟も、長兄の同級生達の遊びの輪に加えて貰って遊んだ記憶が多い。
隠れんぼや、当時はまだ宅地の周りに残っていた田圃での虫採り、蛙採り、イモリ採り、蛇観察、川端の神社の縁日に各地から集まってきた的屋の背中の動物観察、野犬からの身の隠し方、自転車の曲乗り、ブロック塀からの飛び降り方、家の門の木戸の屋根からの飛び降り方、小屋の屋根からの飛び降り方(冬季)、自宅の瓦屋根登り(ここからは飛び降りない)など、私達弟は兄の背中を追う中で遊びや危険回避の術、危険への挑戦を覚えて行ったと思う。
中でも私は絵や洋楽など兄と共通の趣味があったので、殊に仲が良かった。
よく兄が、私の書いた絵をアレンジした絵を描いて、私もそれを真似た絵を描くと言う、絵の連歌のようなことをして遊んだ楽しい記憶がある。

そんな兄が家を出たのは高校時代だった。
兄弟達には父方の一族の中で旧家の因習のしわ寄せが多々あった。
更に、まだ戦後の空気の濃い時分で、旧富裕層への復讐心は、学校では教師生徒両方の中に 赤く 燻っていて、兄は随分酷い暴力に晒されていたらしかった。
兄が学校からも家からも距離を取ろうとしたのは、思い起こすと自然な事だったのだろう。
小学五年生位の頃、私が一人で家の留守番をしていると、暫く姿を見せなかった兄が帰って来た事があった。
玄関から入って来たのではなく物置部屋の裏口の扉に秘密の開け方があった。
私は最初、父が連れて来た居候の大学生 山田がまた勝手に他の部屋の棚などを物色しているのではないかと警戒して柱の陰に身を隠したが、本棚の前とステレオセットの横のレコード棚の前に片膝着いて物色していたのは兄だった。
ものの五分ほどもすると、来たことは誰にも言うなと行って、また姿を消した。

その頃の夏、次兄と一度長兄の住む下宿屋を訪ねたことがある。
留守だった兄の部屋の扉の前に瓶のコカコーラと隣室の住人が書いた手紙が置いてあった。
ふざけるな、と言う怒りの手紙だったが、その手紙の下に長兄の書いたそもそもの発端の手紙も敷いてあった。
いつもお世話になっております。よろしければお召し上がり下さい。
隣人が飲もうとしたためコーラの瓶の栓が開いていて、中から醤油の匂いがした。
長兄の、隣人への他愛ない悪戯だった。

その後間もなく、長兄は独り東京に出た。
東京での暮らし向きは学校をドロップアウトした兄には矢張り楽ではなかったが、兄は中学に上がった頃の私に遊びに来るようによく言ってくれた。
出掛けるのはブニュエル等のサイレント映画や、弁士付きのチャップリン等の上映会だった。
何度かそう言う事があった。
当時、田舎育ちの私には、丸ノ内線のプロムナードの同じ一続きの地下街に二つ地下鉄の駅があるなどと言う地方では考えられない驚異などに気を取られ、兄の孤独な奮闘については思いを致す思慮すら無かったが、兄は兄で、田舎では見られない映画等を面白がる私の様子に満足していたところもあったと思う。

しかし、私が高校に上がる頃には私自身が気むずかし屋になり、一方兄は生活苦からか、さる新興宗教に入信するなどして、私達の間には徐々に距離が生まれていった。
私が大学に入る年だったか、正月に帰省した兄は、主人公が歴史の激動の波にもまれて人生を変えてゆくその年話題の映画を例に、人間にはその映画の主人公のような転機が必要なのだ、根底から変わらなければ…… と熱っぽさを噛
みしめるように語ったが、それは既に兄自身の言葉ではなかった。

私が大学に進んだ後、一度兄に誘われて新宿の静かな大衆割烹で飲んだことがある。
兄は何故私が哲学などを志したかを知りたがり、一応私の説明を聞き届ける振りはしながらも、私の説明が済むと、それまでの話を意に介さないように決然と、台本があるかのように突然舌の滑りまでよくなって、どれ程哲学を重ねても結局、宇宙のリズム、真実はただ一つだけなのだと説いた。
兄の布教活動はしかし、ラジカル過ぎる私の前に釣果を上げられず、挙げ句坐礁したようだった。
その夜を境に、兄は私を避けるようになって行った。

正月の帰省も、私とは必ず日をずらして帰ったが、ある時、正月に帰省しなかった兄にアパートの大家が何故帰らないのか理由を尋ねたことがあったそうだ。
兄は、弟に会うと自分が恥ずかしくなる、正月にも田舎に帰りにくいとこぼしたという。

その頃迄に、兄は糖尿病の症状が悪化して行った。
華奢で小柄な人だったが、若い頃から糖尿病を患っていた。
病魔も私の存在と手を携えて兄を気弱にした事だろう。

その兄が今年の春唐突に他界した。
独りで誰にも看取られること無く亡くなったのを大家が見つけたそうだ。
検屍の結果は多臓器不全だった。
糖尿病は重症化し、少し前に心臓のペースメーカーを埋める手術も受けていたというが、兄に避けられていた私は一切を知らなかった。

冷たい雨の日、歩くのがやっとの高齢の母と次兄と弟と私だけで、荼毘に付される兄を慎ましく送った。
長兄の死が何なのか、私達には良く飲み込めない所があった。
病気のことはあったが、昨年の晩秋には帰省して父の墓参も普通にしていたと言う。
車で送迎した弟が手桶に水をくんでくる間、兄は父の墓に何事か語りかけていたそうだ。

その時の様子では、まだ何年でも生きていておかしくないくらいには元気に見えたそうだし、何より死ぬには年齢としてはまだ若かった。
兄が焼き上がるのを待つ間、火葬場のバスケットボールの様にでかすぎる茶瓶から注いだ茶を啜って、皆で昔の思い出を語ってみても、それは兄の生と死を言い当てているような気がせず、何処か空ろだった。
骨を拾うとき、子に先立たれた母は矢張り涙を流していたが、兄の人生とその死が何なのかと言うところになると何だかよく分からない感じがするのは、我々兄弟と同じで、語る言葉が無いようだった。
兄は骨壺に収まって帰省して行ったが、本当に死んだと言えるのか、それはよく分からない。

私は長兄の死後、ずっと長兄の死が何なのか考えていたのだけれど、ふと伯父達が語る火山の話を思い出して、兄達がそれを眺めた神社裏の石垣の川端、そして自由連想的に、そこから川沿いに道を歩いて行った、私達兄弟全員が生まれた大病院の事を思った。
幼かった長兄は、次兄と私と弟の出生時、いつも病院に駆けつけ、生まれたばかりの私達を見た。

新生児室の中に沢山寝ている赤ちゃん達の中のあれが弟。隣はよその子。
手を結んだり開いたり少し動いた様に見える次兄と私と弟の最初の日の様子を兄は見ていた。

そう思うと、少しだけ兄の死の一部を理解出来たような気がした。

戦争も体験した高齢の伯父達が大往生を遂げたとき、わたしは、人は死ぬと裏表紙が付いて本棚の空きの幅の中にすっぽり収まるようだと思った。
生きているときはその人生は何処かに収まりきってしまうものではないけれど、死ねばその物語に始まりと終わりが切られて、全部が何処かに入ってしまう。
しかし兄の死は長さが中途半端で、途中から新興宗教の紋切り型の言葉を再生する精神の空洞化もあったから、どこか本に出来ない浮かばれなさを感じさせた。
それでも、幼稚園から小学校低学年の頃の兄が川端の道を歩いて病院迄やって来て、生まれて直ぐの私達を見守ったことは、兄の物語の混乱と挫折と長い空白のページをも物語として受け入れさせるに十分な足跡なのだと思われた。
未来のノンブルがあるだけで、生きられなかった白いページですら、残された弟達の物語を支えているのだと今は思う。
私達弟一人一人の本が、本棚に並び切る時まで、兄の本は本棚に収まることは無いだろう。
私達の人生の枝葉は今この時も、兄が新生児室に見た胚の展開を生きている。
その全てを弟達の誕生日に病院に駆けつけた兄だけがまず最初に見届けたのだ。
私達弟それぞれの誕生日は皆そう言う日なのだと思う。

 

 

募集期間を延長しました。ぜひ、ご応募下さいね。

 

ブログ・エプスタインズ創刊10周年記念特別事業
エプスタ随筆大賞
応募締切:2020年10月11日(日)
ジャンル:随筆
形式:Microsoft Word または googleドキュメント
   ペンで紙に書いて、または点字などの郵送も歓迎です
枚数:制限なし
テーマ:以下の6つの中から選び、応募下さい。
   ・お楽しみはこれからだ
   ・おれは悪くない
   ・三等同僚
   ・死ぬのは奴らだ
   ・ビッグトゥモロウ
   ・耄碌と恍惚
賞品/賞金:後日発表
賞一覧:・大賞
    ・投票による読者賞
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    ・のんき大賞
    ・Mr.BOO!ギャンブル大賞
審査員:高橋紅(くれない)
    高橋基(もとい)
    スズキスキー
発表:2020年10月吉日
応募先:info@epstein-s.net @を半角に変換して送信して下さい
郵送は〒154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋2-20-13-410 鎌田浩宮まで

 

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2020.10.08