日本人の忘れもの つづきっ

文・名無シー/鎌田浩宮
写真・映像/鎌田浩宮

 

コロナウイルスの影響で
ようやく全国ロードショウとなった
ドキュメンタリー映画がありまして。

戦争が終わって75年もの間
こんなに知らないことだらけ
知らないことが山盛りすぎて
驚いてしまう映画です。

ラーメン二郎の「マシマシ」で例えると
野菜のマシマシが巨大すぎて
麺にたどり着く前に死んじゃうぞ
ってな感じです。

この映画を喋り倒す
第2弾でごんす。
よろしくお願いします。

 

 

日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人

監督 小原浩靖
企画・製作 河合弘之
撮影 はやしまこと
ナレーション 加賀美幸子
音楽 吉野裕司
主題歌 甲田益也子

出演
赤星ハツエ 新垣イノセンシアユニコ イネス・マリャリ
岩尾ホセフィナ 加藤マサオ 加藤ヤエコ カワカミ・ピエダ
オオシタ・フリオ 川上ホセフィナ 重富フアニタ 副島マサエ
高良アントニオ 照屋光子 寺岡カルロス トマサ・ヘラルデス
メルビン・スワレス 山本アンヘリータ 矢島美津子
池田澄江 佐藤陽子 佐藤勇吉 高野宮子
福安芹江 森実一喜 矢嶋克子 三上貴世
大久保真紀 安原幸彦 小野寺利孝 望月賢司 大野俊
アナ・マリー・フランコ エミー・ビリョネス
猪俣典弘 石井恭子 高野敏子 田近陽子
ほか

公式HPはこちらです

 

 

内地とはどこなのか

 


さて、そして現代です。この映画が撮ろうとした風景です。

この映画で先ず説明無くぽんと出て来るのが、タイトルにも使われている「日本人」と言う言葉です。いきなりぽんと。ですので、国民国家の成員をさすこの言葉がテーマだというのは直ぐに分かりました。

今日的にはこの日本人という言葉は、その言葉への対峙の仕方に戸惑いを覚える人々も多くいる言葉です。顕著な例を言うと、沖縄の方々。歴史的にも地理的境界線の事もあり、一筋縄には語れない事情もありますが、現在の近代国家主義的な日本では本来「内地」のはずの場所です。

でも当地で鹿児島以北を内地と呼び習わす慣習にはご存知の通りの国からの、酷い扱いの背景があるように見えます。

また同様に北海道のアイヌの人々。彼等は最新のゲノム研究では最古の日本人の始祖 縄文人の直系の子孫であるばかりか、そもそも東ユーラシアの最古の住人達の直接の子孫だと言う事で、この列島や環日本海地域で最古参の集団です(「縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史」)。

しかし、江戸時代以来これ迄の国家からの冷遇は勿論、最近ではネットで扇動したりされたりする人々から様々な攻撃を受けています。

 

 

どこからが蝦夷でなくなるのか

 


また、福島の人々。彼等は古代には熟蝦夷(ニギエミシ)と呼ばれ征服対象で、近現代に於いては戊辰戦争以来、矢張り冷遇されてきた地域です。二次大戦中核物質の研究施設があったことも関係してか、戦後は米主導の原子力イメージキャンペーンの嚆矢として原子力村の餌食にされ、到頭人が安心して住めない土地にされてしまいました。

地理的境界線に於いては日本の中心寄りの地域での出来事で、純粋に出来事が日本人、日本と言うことの意味を問うていると言うことでは福島は象徴的に見えます。

また戦後の国内人口のインフレーションの時期に国策として推進された移民では、ドミニカへの移民の人々が、移民斡旋の謳い文句と現実の著しいギャップのために酷い目に遭ったという事で日本国を訴えた訴訟は割と有名かも知れません。

いずれも、国民の保護という国家存立の屋台骨に関わるところに、疑惑の目が向かざるを得ない事例に見えます。

 

2020年8月8日の上映後に開催された、白石和彌監督と大友麻子さんによるトークライヴ。

 

私は加害者です

 


なるほど…。19世紀から20世紀においてのナショナリズム・帝国主義は、国民の保護をうたい文句にしていた。一方日本では、当時から国内の分断が顕著だった。顕著だったけれど、まあまあ覆い隠していましたね。


地理的境界と関わりなく国民の保護はおろか、加害が疑われたケースもあり、薬害エイズ等はそう言うものです。ただ、薬害エイズの場合、被害者の皆さんは、彼等が日本人ではないのかという意識の問題には発展しない。日本人と言う話をする場合には、矢張り民族的な帰属意識の問題にフォーカスする訳です。

その意味では、棄民意識があるように見える福島は矢張り独特です。三番目に巨大な自治体である福島が巨大な土地と人纏めて冷遇を受けると言う事態は、まるで国民国家がその巨大な土地と人を放棄するかの様に見えなくもありません。巨大な被害地、被害民を見捨てることは国家には許されない筈なのですが…


その通りですよね。棄民はこの映画のキーワードになっています。沖縄・アイヌ・福島と、至る所で差別と分断が良しとされていて、様々な地方に被害者がいて、加害者がいる。

そこで僕がいつも思うのは、僕自身が加害者であるという事です。

僕は、福島原発の事故において、加害者です。チェルノブイリ原発事故があり、原発の危険性を知っておりながら、ろくな原発反対運動もせず、電気を使い続けた。これは、加害者です。

この映画で扱っているフィリピン残留邦人についても、その事を知っているのに、何もしないで傍観しているのは、加害者です。日本政府と同じ穴のむじなです。

も少し喋り倒すと、日本をはじめとする高度資本主義経済国家では、人口の1割前後である富裕層に、税制も法律も優遇されています。僕ら庶民は被害者だと言えるのですが、一方でより弱い人をいじめたり、より少数者を差別したり、ヘイトしたり、間接的に殺したりしています。これじゃ僕らは、加害者なんです。

小原監督はそういった視点も携えたうえで「日本人はこんな忘れ物をしている」とおっしゃっているんじゃないかしら。

 

封切初日舞台挨拶を終えた、小原監督と猪俣事務局長。

 

この特集、こちらへ続きます。
お楽しみに…。

 


2020.09.02