好きな映画を仕事にして 第1回

文・嶋岡ひろし
構成・鎌田浩宮

東京の繁華街、路上。

嶋岡さんと知り合ったのは、2019年でした。
僕よりちぃと年上。マリリン・モンローが旅立った1962年生まれ、57歳。
札幌で映写技師として長く活躍し、今は野宿者です。

2人とも映画が好きなもんだから、道っぱたの寒い中、ずっと喋るんです。
カメジローさんのドキュメンタリーから、ドルビーシステムの歴史まで、とめどなく語り。

楽しいので、エプスタインズで連載記事を書いていただくことにしました。

スマホンもPCもお持ちではないので、テレフォンカードをお渡ししました。
脱稿したらお電話をいただく。 僕がその場に伺い、手書きの原稿用紙を受け取る。
そんな形で、始めました。

東日本大震災以降、もう友達は増やさなくていい、助けてくれた数少ない仲間とだけ、狭く深く交流していけばいい、と僕は思っていました。
しかしありがたいことに、知己が1人増えたんです。この出会いを、大切に育んでいきたいと思っています。

エプスタインズ編集長・鎌田浩宮

 

いつの頃からだろうか、暗い闇の中、熱いまなざしで映画を見るようになったのは、「燃えよドラゴン」(1973年 米・香港、R・クローズ監督 ブルース・リー主演)すべてはこの映画を見た時から始まった。

ブルース・リー(武道家・俳優)理屈ぬきで彼のアクションに驚き、動きの早さ、カッコよさ、彼のすべてに憧れた。その当時、ブルース・リーに魅了された多くの子どもたちがいた。僕もその一人だった。夢中になった。

彼の出演作をはじめ、色々な映画を見るようになった。ハリウッド映画、フランス映画、ヨーロッパ映画、もちろん邦画(日本映画)、ジャンルをとわずに見た。その時代、映画は、娯楽の中心にあった。

僕は20年間、映画にかかわる仕事をしてました。趣味も仕事も映画、僕にとって映画を見ることは普通のことで日常的なことでした。

 


編集部注:当時嶋岡さんが目にしたであろう、札幌劇場(須貝興行株式会社)の新聞広告です。

 

16才の秋、映画館の映写技師見習い募集の求人広告をみて応募して、採用されて、映画館を経営する興行会社に就職した。その会社の映画館は何度も映画を見に行っていた映画館で、通いなれていると言った方があってるかも、僕にとっての遊び場の一つだった。

その頃の映画館は、完全入れ替えなし、テケツ(チケット売場)、モギリ(受付)、立見(満席で立って見る)、そして何よりもフィルムを機械に掛けて映していた。休憩音楽が流れ、それが止り、開演を知らせるブザーがなり、場内が暗くなり、カーテンが開き、スクリーン(銀幕)に映し出される。

映画を映す人を映写技師と呼んだ。映写室は映画館の心臓部と言われ、それほど大事と言うことだろう、映画館の仕事の中で僕にはカッコ良く思えた。

僕が映写技師を始めた当時は2台の機械でフィルムを掛け替えて映すのが主流で、その前の世代はフィルムは可燃性で燃えやすく、免許が必要とされていた。僕の頃は不燃性に変わり、免許が不要になったが見習(研修期間)があり、スキルと経験が必要である事に変わりはない。

僕は今でも映写室に始めて(ママ)入った日の事をよく憶えている。映写室の真中に大きな機械が2台あり、室内が以外(ママ)に明るかった事、その時上映していた映画が「ワイルドギース」「刑事マルティンベック」の2本立だった。

 

「ワイルド・ギース」は傭兵…金稼ぎのために戦う兵士を描いたイギリス作品(1978)。監督は戦争ものや「シェナンドー河」「チザム」など西部劇でも知られるアンドリュー・V・マクラグレン。

 

「刑事マルティン・ベック」はなんとスウェーデン作品(1976・日本公開は1978)。ストックホルムを舞台に、悪徳警官殺しを追う初老刑事、犯人も警官なのか…?という北欧コップクライム。

 

映写技師の仕事は、配給会社から送られてきたフィルムをアルミまたはプラスチックのケースに分けられて、収め梱包されて、きた物をフィルムをつなぎ、映す機会に併せ、準備して、機械に掛けて映す。簡単に言えば、こう言う事だろう。

デジタルが主流の今、このフィルムをつなぐ(映画のもう一つの編集作業と言っていいかも)、この作業がない、これが映写技師(プロ)を必要としない要因の一つと言えるだろう、

このフィルムを、つなぐと言う作業は、つなぎ間違うと内容が違う映画を作ってしまう(巻の順じょ間違い)と言う事がおきる。だからスキルと経験が必要とする。

フィルムは消耗品であり、機械に掛ければ傷む、画面にキズが入ったり、パーフレーション(ママ)と呼ばれる所に切れつが入ったり、そのまま機械に掛ければ、事故、トラブルを引き起こす、それをふせぐために、テープで貼ったり修繕する。

 

 

フィルムをベストの状態にする。これがこの時代の映写技師の一番大事な仕事と言える。それを考えると、今のデジタルは、何万回映しても傷まない、レッカしない(何万回も今は映さない)点では、デジタルがよいと言えるだろう。

時代は流れ、機械も新しいものへと変わり、フィルムの掛け替えのいらないもの、全自動でプログラム等で映せる機械になり、僕の仕事も映写技師から映画館業務、映画興行全般の仕事となった。

時代はさらに流れ、ビデオの普及、DVD、ネット配信で映画が見られる。映画館はシネコンの時代に入り、そして、フィルムからデジタルへ…。

僕は映画の仕事を辞めた。無料動画のツイッターに、こう書込まれていた、フィルムからデジタル化への利点、映写技師不用、人員削減、利点と…。

僕が映画の仕事を20年、続けられたのは、映画が好き、映画の仕事が好き以上に、映画館が好きだった。今のシネコンと呼ばれる映画館ではなく、僕が少年時代を過ごした映画館、パラダイス座のようなー。

仕事を辞めて十数年、僕は今でも、あの頃の事、映画と過ごした日々を思い出す、心のスクリーンに記憶と言う思い出を映す事ができる、それはまるで映画ニュー・シネマ・パラダイスのラストシーンのように。

THE END(第2回に続きます…)

 

嶋岡さんの「パラダイス座」は、こちらを指します!

 


嶋岡さんの勤務したコヤの写真ではありませんが、このように映写機は2台!2時間の映画であれば、フィルムは5巻から10巻。1巻は15分前後。なので、映写技師が交互に途切れることなく、操作しなくっちゃならんのでした。つい最近までは、どこもこうだったんです。


2020.01.07