ヤツのオデコに一文字くれろ!第16回「愛川欽也」

「街」:鎌田浩宮

好きな街、沢山ある。
北は二風谷から、南は石垣島まで、ウランバートルだってロンドンだって。
僕の住む三軒茶屋も、好きな街。

ただ、好きな街は多々あれど、国を愛する、とゆー概念になると、僕は興味がなくなってしまう。
国という単位には、必ず権力者がいて、市民の権利よりも優先するものが存在し、軍事力を持ち、時には他国と理不尽な衝突をする。

キンキンは、ド派手なトラックに乗り街中を駆け走り、世界の街を訪ねた「なるほど!ザ・ワールド」から、その名も「アド街ック天国」へと移行していき、権力者も軍隊もない「街」への憧憬をたゆまず続けていった。

「街」は、「天国」である。
平和だから、である。

 

 

愛川欽也さん死去 80歳 東京と平和愛し続け

 「キンキン」の愛称で親しまれた俳優でタレントの愛川欽也(あいかわきんや)(本名井川敏明(いがわとしあき))さんが十五日午前五時十一分、肺がんのため東京都内の自宅で死去した。八十歳。東京都出身。

<評伝> 「戦争をしない、平和憲法を守るってテレビがどこもないから、おれがやってるんだ」。
テレビでおなじみの笑顔の「キンキン」でなく、怒鳴るような口調でぎょっとした。
二〇一四年九月に、愛川欽也さんにインタビューした時のこと。
七十代後半で始めたインターネットテレビの目的をこう語った。
 大ヒット映画「トラック野郎」シリーズの企画を東映に持ち込み、菅原文太さんと共演した。
深夜テレビ「11PM」の司会や、深夜ラジオ「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティーのほか、俳優、声優、エッセイストなど、マルチタレントとしてテレビやラジオ、映画などでファンの心をつかんだ。
 東京・巣鴨に生まれ、下町を愛した。心に秘めた強烈なまでの平和への執念。
その原点は、故郷を空襲で焼かれ、親類を頼って秋田や茨城などの疎開先を転々とした子ども時代にある。
 戦後五年たってようやく東京に戻れた。
中学の恩師が新憲法を教えてくれたという。
「日本はこれだけの犠牲を払って近隣諸国に迷惑をかけて、平和国家として道を決めたな、と思った」。
だから改憲の動きには怒りを隠さない。
「戦争があれば街は壊れる。東京が世界に冠たる平和な都市、戦争をしない都市になるには、憲法を変えないこと。そのために、町じゅうの道を『平和憲法通り』って名前にしたらいいんだ」
 「憲法を守って戦争しない街と、そんな人間が残ったら。おれはそれにロマンを感じる」。
憲法と平和の話になると止まらない。
インタビューの時間がなくなると冷や汗をかいたが、本紙を評してキンキンに言われた言葉は忘れない。
「東京新聞の読者の数が平和の数だって言っていいよ」
 本紙連載の「わが街わが友」の最終回では「また、強い国の夢をみる人が増えてきたような気がする。マスコミがもう一度軍靴の行進に旗を振ったり、提灯(ちょうちん)を灯(とも)したりしたらこの半世紀は一体何だったのだろうと思う」と結んでいる。
 「アド街」放送千回の取材で、体調が悪いと聞いて心配していた。
あの元気な声がもう聞けないのは寂しい。 (五十住和樹)

東京新聞 2015年4月17日


2015.06.17