第-2 「あきらめない。生活のためには常に努力する。」

Тэрбээр Японы эмэгтэйтэй гэрлэсэн нь уулзалтын Монгол , Япон руу цагаачилсан юм. Монголчууд Японд амьдарч , маш хэцүү байдаг. Энэ өгүүлбэрийг уншиж, зориг уу.

Камата хийж Hironomiya

Terbeer Yapony emegteitei gerlesen ni uulzaltyn Mongol , Yapon ruu tsagaachilsan yum. Mongolchuud Yapond amidarch , mash khetsüü baidag. Ene ögüülberiig unshij, zorig uu.

Kamata khiij Hironomiya

 

1999年。この年は遊牧生活をする中で一番悲しい年でした。
この年までの8年間で、自分の力の限り働いて、働いて、羊・やぎの数を400頭まで育て、増やすことができました。ここまで増えると私達の生活は十分足りるようになり、本当に嬉しかったです。けれど、生活というものは、常に優しいものではなく、きびしさもあることを間もなく知ったのです。

1999年の冬のことでした。その冬は、モンゴルのゴビ地方にかつてない記録的な大雪が降り、寒さも異常な寒さでした。11月から雪嵐が吹きあれ、外は-35℃まで凍りつきました。羊・やぎは毎日草を食べに出かけるのですが、外はたえきれない寒さでした。ふつうは朝から晩まで一日中草を食べているのに、一時間もしないうちに、もどってきてしまいました。もどるとちゅうで、弱ったり、やせていたり、年をとっていたりする羊・やぎは、体が冷えきって、感覚がなくなっていました。そして、足が全く動かなくなっていました。そのため、乗り物やらくだの背で、家まで運び連れ帰ったのですが、間もなく死んでしまいました。

深夜になると、さらに気温は下がり、-40℃になりました。小屋の中は外よりあたたかいのですが、それでも寒すぎます。地に足やおなかをつけて眠るには、寒すぎるので、他の羊・やぎの体の上に、一頭、一頭がのっかって眠ろうとしました。けれど翌朝、下じきになった羊・やぎは、冷たくなって死んでいました。

どの羊・やぎも十分な草を食べられずに、どんどん飢えていきました。飢えで、自分の体の毛を歯でむしり取って食べる羊・やぎの姿も見ました。

こうして、毎朝、毎日、何十頭、何百頭がバタバタと死んでいくのを見ました。それは地獄絵でした。この経験は、私だけでなくこの地方の遊牧民全てが、同じ地獄を見ました。

つづく・・・

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へんしゅうぶ から せつめい
この ぶんしょうを かいてくれている 鉄は とっても とっても がんばったおかげで にほんで しゅうしょくすることが できました。
しごとが みつかったのです。
この ふけいきの なかで しごとをみつけたのは すごいことです。

鉄は いっしょうけんめい しごとを しているので、いえに かえると つかれているせいで ごはんを たべて すぐに ねています。
なので こんかいの ぶんしょうは 鉄が モンゴルごで ぶんしょうを かき、にほんじんの おくさんが それを にほんごに かきなおしました。
なので、しごとで つかれていても、これだけ たくさんの ぶんしょうを かくことが できたのです。

これを よんでくださっている モンゴルの ひとたちも、鉄の ように がんばれると いいですね。
ぼくらも 鉄の ように がんばります。

ちなみに、ぼくは モンゴルへ 2かい しか いったことが ありませんが、400とうも ひつじ や やぎ を かっているのは、すごい ことです。
ぼくが、モンゴルで あった ゆうぼくみんの ひとたちの なかには、ひつじ・やぎの かずが、もっと すくない かぞく が おおかった からです。
だから、8ねんかん がんばって、400とう に ふやしたのは、すごい ことだなあ、と、おもいます。

なので、じごく のように なってしまって、どうぶつも かわいそう ですし、鉄の かぞくも どうやって いきていけば いいのか、ぜつぼう したのでは ないでしょうか。


2010.11.26