没後18年「渥美清さん夢をありがとう」小諸より

取材/撮影/文・鎌田浩宮

今年も、
この日が、
やって来た。

8月4日。
渥美清さんの、
命日。

渥美さんが旅立ったのは、1996年。

渥美清こもろ寅さん会館復活運動に奮闘努力するココトラ(コモロ寅さんプロジェクト「いつもココロに寅さんを♪」)のメンバーは、8月3日の日曜日に、会館の中庭にて献花式を行いました。

ちなみに、前日8月2日は、小諸のお祭り「ドカンショ」にココトラが参加。
男は寅さんの扮装をして、女性は浴衣姿で、水木一郎が歌う、浅間山の噴火音にちなんだ「小諸 ドカンショ」の曲に合わせて目抜き通りを踊ってきました。
その際に献花式のチラシも、道行く人に配りまして。

右の男が、ココトラ代表・轟屋いっちーこと一井正樹
振り付けも、寅さんの「お控えなすって」に倣ってます。

この祭りがえらくハードなものでして、曲が45分エンドレスでかかるのよ。
で、目抜き通りを、延々踊りながら歩く。
坂の街小諸は、上り坂も、下り坂もある。
15分休憩して、また45分ぶっ通しで踊り歩く。
サッカーかよ!
延長あったら死ぬど。

そんなハードな夜を終え、翌日。
スタッフは、朝8時半集合。
炎天下の中庭、大慌てで、セッティング開始。
受付作って来賓用椅子並べて日よけテント設営して飲料用意してマイクなど音響セッティングして花用意して。
なぜ、人は渥美さんのために、ここまで無償で汗だくになって働くのか。

 

参列者、
去年の
数倍。

 

去年と比べ、数倍も来賓・献花希望の人が多い。
なんだなんだなんだ。
その数、約50人か。
用意した椅子じゃ足りない。
若い人には立っていただく。

これだけ若い方が参列下さったのも、この運動を応援して下さる地元のお蕎麦屋さんが、おむすびの差し入れと共に、数十人の現役大学生を連れて来て下さったりしたおかげなのです。

そば七さん、ありがとう!

そんな方々全てにうちわと紙コップの飲み物を配り。

そんなもんだから予定の午前10時を少し押してしまいつつ、開会宣言。

続いて、柳田剛彦小諸市長の挨拶の予定だったのであるが、ありがちな
「市長は本日所用のため…」
と代理の人が壇上に立ち、挨拶。
渥美さんは怒らなくっても、俺は怒ったぜ。

さらに怒らせたのが、この代理のおじさんが、渥美清こもろ寅さん会館復活に関して、ネガティブな発言ばかりするんである。
予算がないだの少子化だのああだのこうだの。
今日は何の日だい?
渥美さんの命日を偲ぶ日だぞ?
町おこしだのなんだの机上の会議してばかりで、この国民栄誉賞さえ受賞した人の存在をコケにしやがって。
野次を飛ばしてやろうかと思った。

その反面嬉しかったのは、去年欠席した市議会議員の参加が多かった事。
つまりは、会館復活を望む議員さんも多いという事だからだ。
中には、月イチの上映会に、観に来て下さった議員さんもいらした。

さらに嬉しかったのは、小諸が舞台になった第40作
「寅次郎サラダ記念日」
のロケ地になった小諸病院の院長がいらした事。

拍手で紹介され、地元テレビ局もカメラを向ける。

その他、様々な来賓が紹介され、その次は、ココトラ代表・轟屋いっちーによる、渥美さんへ捧げる言葉。
徐々に、若いファンが増えているは、この国に閉塞感が溢れているからではないでしょうか、と一井正樹。

その次に、僕が山田洋次監督の詩を朗読。
この詩は、中庭の石碑に書かれてあるものです。

わが友、寅さん

寅さん、おまえと日本中を旅して歩いたあの長い年月のことを、僕はどれほど懐かしく思い出すことだろう。
ああ、旅先でおまえと語り合った楽しい日々!
おまえの馬鹿馬鹿しい失敗話に笑いころげ、お前の家族を思う気持ちにしんみりさせられ、そしてお前の数えきれないほどの失恋話についホロリとさせられたりしたっけ。
寅さん、今頃どこで何をしてるんだ。
日本のどこかで相変わらず美女に恋をしているのか。
それとも信州は小諸あたりの道端で、小さな店をひろげて例の調子のいい口上を叫んだりしているのかい?
たまには帰ってこいよ。みんな心配してるんだ。せめて便りの一本ぐらいよこせ、あの金釘流のものすごい葉書でいいからさ。
なあ、聞こえてるのかい、寅さん。
一九九七年八月

山田洋次

 

なんと
今年は
倍賞千恵子さん
笹野高志さん
から
小諸
だけに
メッセージ
が。

 

そしてその次は、「男はつらいよ」の数々、そして山田洋次監督作品に度々出演され、渥美さんとも食事をされたり、芝居を一緒に観に行かれたりと、公私共に交流のあった笹野高志さんから、何と肉声のメッセージを披露。

「自分も渥美さんが亡くなった齢になってしまった。それにしても思うのは、渥美さん、逝くのが早すぎましたよ」

といった内容で、渥美さんへの、そして渥美さんが愛した小諸への敬愛に溢れたものでした。
何度も「ありがとうございました」と語る笹野さん。

これを読んでいる皆さんにもその肉声をお聞かせしたいのですが、笹野さんへ御断りを入れていないので、ごめんなさすって、です。

そしてその次は、これまた何と倍賞千恵子さんから、直筆のメッセージが届いたので、代読。
何だか、柴又の寅さん記念館よりすごいイヴェントになってしまったです。
僕自身、生まれて初めて倍賞さんの直筆を見られました。
こちらも御断りしていないので、数行だけ抜粋して掲載しますね。

 

お兄ちゃんは寅さんの銅像ができるのはちょっとはずかしがっていました。
人間は死んだらおしまい、何も残らないと云いますが、お兄ちゃんは本当に沢山の事を残してくれました

この映画は私にとって人間というものを知り考え、社会や世間を知る、学校でもありました。
でもこの学校、私にとってはずっと卒業することのない学校だと思っています。

倍賞千恵子

その後は、全員で黙祷。
そして、献花。

 

市内外、
老若男女

願いは。

 

こんなに小さい子も、いたんだよ。

次に、現小諸在住、元松竹衣装部、山田組にも在籍、もちろん渥美さんの衣装も担当した、本間邦仁さんの挨拶。

そして、皆で「男はつらいよ」を合唱。
先に配ったうちわに、歌詞が書かれているので、大学生もお子さんも歌えます。

予定ではこの後、葛飾柴又寅さん会館との電話中継だったんですが、あまりの猛暑に熱中症の危険を感じ、一旦中締め。
殆どの参列者が返った後、柴又の会館の広報担当・横山秀一郎さんと中継。
この方も32歳と非常に若い寅さんファンで、話は盛り上がり。

しかし!
何と猛暑のせいで、中継に使っていたiPhoneに「高温注意」と表示が出て、フリーズ!
去年の中継は、大丈夫だったんですが。
電話機を替え、無事中継再開。
どうやら柴又では命日のイヴェントはないようで、小諸の方が盛り上がっていたかも知れません。
とはいえ、柴又はお盆の時に毎年必ず、渥美さんを迎えるために、帝釈天参道でろうそくを灯すんですよね。

僕自身は、この小諸市民の益々大きくなってきていいる会館復活への願いと、それを聞き入れない小諸市側とのズレを感じずにはいられない式でした。
このままでは、市内外の声がいくら大きくなっても、会館復活はないでしょう。

行政を動かすのは、大変です。
行政というのは保守的で、リスクを回避するからです。
しかし、このままでは小諸市はすたれていく一方でしょう。
駅前の土産屋には人気もなく、シャッター商店街になりつつある。

チャップリンが、100年経ってもその芸術性を重んじられ、人々から敬愛されている。
渥美さんの映画が、今でもテレビで放映され、「ムッシュはつらいよ」でのプチ再ブレークも言われている。
小諸市は、会館復活の文化的意義を熟考すべきだろう。

ちなみに、去年、2013年の献花式のレポートは、こちらで読めます。
http://epstein-s.net/archives/13525


2014.08.04