第八話「ソース焼きそば」 <後編>

 

shinya008_03

 
『深夜食堂』ディテールの細かさ
 
 倉田「前回でも話しましたが、結局倫子は食堂に来ていた男を父と
    解ったのか、解っていないのかは描かれていないんですよね。
    その点が非常に惜しいなあと思うんです」
 鎌田「そうだねえ。そこは一致した意見だね」
 倉「やっぱり親に捨てられたというモチーフが大きいので、答えが
   分かっていた方が、倫子の出演した映画での演技が変わったと
   いう点も理に叶うと。ただ父という存在を思い出しただけで
   あの重い台詞を言えたという流れだと、ちょっと・・・」
 鎌「かなりご都合主義に見えるよね。まあ、全10話あってその中で
   唯一この回だけがう~ん・・というのは、連続ドラマとしては
   大したもんだなとは思うんだけどね」
 倉「これほど揃う事もないですからね。良い回が」
 鎌「このドラマ全10話に言える事なんだけど、今回みたいに
   脚本や演出に弱い所があっても、ディテールの細かさや役者の
   巧さで魅せていけるという事は多々あったね。この第七話と
   第二話では歌が使われる物語なんだけど、音楽をやっている
   身としては、よくオリジナルの劇中歌をこれだけ作り込んで、
   作曲して、アレンジもちゃんとして、大したもんだなとは思うよ。
   そういう近年のテレビドラマではないディテールまでの
   作り込みがあったとは思う」
 倉「そうですねえ」
 鎌「この曲“ジャマジャマボーイをぶっとばせ”も歌詞面白いでしょ。
   曲もいいし。第二話の演歌でもそうなんだけど、曲と詞と
   アレンジがしっかりしていて。それをちゃんと役者に歌わせて。
   それだけで結構時間掛かるからね。制作日程として」
 倉「親衛隊の作り込みも無駄に細かいですしね(笑)」
 
 
“もう赦してやんなさいよ?馬鹿野郎!”
 
 鎌「深夜食堂の大ファンとしては、この回だけは俺はちょっと
   納得いかない部分があってね。この回のテーマって、
   親を赦すという事がある。
   この対談では俺の事ばかり話しているので恐縮するんだけど・・」
 倉「いえ、どうぞ」
 鎌「ちょくちょく話している俺の親父の話でね。親父は女を作っては
   家出をし、長い時だと1年以上帰って来ないという。その間の
   やりくり、俺の高校受験、費用はどうするんだという事なんかも
   親父は全くタッチしないで過ごしたんだよね。その後、俺は
   なんとか母親にフォローしてもらって高校にも行けたんだけどね」
 倉「鎌田さんのお母様、本当にさすがです」
 鎌「それから俺が大学を中退してちょいとしてから、親父が50代半ばに
   して多発性脳梗塞を発症して。右か左かは忘れたけど半身不自由に
   なって。そして同時にアルツハイマーも併発して。
   ボケ始めて足し算引き算もできなくなって、言語障害も始まって。
   でも俺も弟も到底世話ができないんで、介護施設に入れて
   もらったんだよね」
 倉「そうだったんですか・・」
 鎌「そうするとね、父方の親類が言うんだよ。確かに息子の君達は
   酷い目辛い目に遭ってきただろうが、父はこうなってしまった
   んだし、仮に謝りたいとしてももうお前たちに謝れない身体に
   なってしまったんだから、もう赦してやんなさいよ、
   なんて言うんだよ。馬鹿野郎!と思ったよ」
 倉「・・・・・」
 鎌「このWebマガジンを親戚衆が読んでいたらたっぷり伝えてやり
   たいよ。勝手な事言いやがってと。他人は赦せというのは簡単
   だろうけどさ。その頃の俺はもう恨み辛みを抱えて父と接して
   いた訳ではなかったんだけどね、周囲から押し付けられると
   いうのは非常に苦痛だった。ストレートに言えば腹が立った」
 倉「僕も何か、物凄く腹立たしさを感じます」
 鎌「昨今、幼児虐待や育児放棄などの境遇の人が増えたよね。
   ニュースでも多く報道されているように。そういう人達が
   自分の父、ないしは母が俺と似た様な境遇になった時、
   周りから赦してやりなさいよ、なんて言われるのは
   苦痛であろうなと」
 倉「そう、思います」
 鎌「虐待や育児放棄を受けた側の気持ちのもっていき場というのが
   追い込まれてしまう。出口のない方へ持ってかれてしまう。
   そういう経験をしている俺の身から言わせてもらうと、この回は
   もっと深く描いてくれれば別の印象を持ったかもしれないけど、
   少し、辛いなと」
 倉「一つだけ質問させて下さい。父方の親戚の方々は、いわゆる
   放蕩していた頃の父に対して、諌めたり、助けてくれたりは
   してくれたんですか?」
 鎌「そこだよね。金銭的な援助は一切してくれなかったし、俺の母を
   助けてもくれなかった。精神的な援助や救済をしてくれた訳でも
   なかったよ。遠くから見ているだけだったと思うよ」
 倉「そうですか・・。元気の時は何もせず、障害を持ってから赦せと
   言うのは、幾ら何でも当事者の事は見えていないと思えます」
 
 
『おくりびと』は傑作だったのか?
 
 鎌「俺は近年、最悪の駄作だと思っている映画に
   『おくりびと』という作品があるんだよ」
 倉「(笑)」
 鎌「細かく色々と気になってしまう点が多々あったんだけど。
   最後に具体的には描かれていないけども主人公の本木雅弘を
   捨てたという父の存在があって。果ての地で父が死んだという
   連絡が本木君に入って、父を納棺しに行くんだよね」
 倉「そうでしたね」
 鎌「そこで“親を赦す”というテーマがクローズアップされるんだけど
   バカヤロウ!ふざけんじゃねえよ!監督の滝田お前何やってんだ!
   この野郎!!と思ってしまった」
 倉「僕は鎌田さんのような経験はないですが、あの納棺に行く前の
   本木は“イヤだ!”と叫ぶ。でも父と対峙した際に、父が持って
   いた石文のくだりで赦すようなエンディングとなりましたが、
   イヤイヤイヤイヤイヤ(笑)」
 鎌「(笑)」
 倉「そういう事か?!と思いました。演出上、脚本上で綺麗に仕上げ
   てあるだけで、当事者の心がぷつんと途切れたなあと思いました。
   だからちょっと脚本の小山薫堂さんは童話的観点が強すぎると
   僕は感じました。日本独自の納棺という文化を扱いながら、元々
   希薄な物語の中での唯一の太い軸で童話なのはちょっと・・・」
 鎌「俺はあの映画すごい楽しみにしてたんだ。海外の映画祭でも
   受賞していたし。でも見てみたら非常に憤ってしまった」
 倉「う~ん。わかります」
 鎌「最近、ああいうテーマの映画や物語は多いのかな?そう簡単に
   赦すっていうのがね・・・」
 倉「特にハリウッド映画がハッピーエンドを好む傾向がありますが、
   多分各国、断絶したエンドを迎える映画は減っているようにも
   思います」
 鎌「うん、そうかも」
 倉「とはいえ、日本映画のハッピーエンドの持たせ方と海外映画の
   持たせ方は違う気はしています。日本の場合、悪い意味での
   持たせ方を、大作と言われる映画でもしているように思います。
   主人公の心の中の選択肢の一つとして“赦す”があった、という
   よりかは、物語の答え、オチにしてみたというように感じます。
   主役の心から出てきた解によるエンディングではないという。
   例えば“赦す”というパターンのエンドもあるとは思います。
   それが納得できるものもあるはずですよね?そこに持っていく
   術が、ご都合主義に見えたりする」
 鎌「そうだよね」
 倉「幼児虐待も育児放棄も実際に起きている事だし、受けた人は
   確実にいる。だからこそ気をつけなければいけないテーマだと
   思うんです。僕も本当に日々気をつけて悩んでいます。
   そういう意味では小山さんは“ライト”な感じがします」
 
 
“赦さない”というテーマを抱えて
 
 鎌「数年前から制作中で、未だに完成していない俺の映画がある。
   それは西山亮監督と創っている『新・モナーク三軒茶屋410』」
 倉「長編ですよね」
 鎌「うん(笑) この映画はね“親を赦さない”がテーマ(笑)
   いわゆる『おくらないひと』(笑)」
 倉「非常に良いと思います。色んな経路を辿って、そこに
   行き着く事は間違いじゃないと思うんです。今は観る人の為の
   エンディング、未経験者の為の映画、未経験者が重いテーマを
   納得すればいい、感動すればいいという映画が存在する。
   そういう理由でテーマを選んではいけないと思うんです」
 鎌「幼児虐待、育児放棄、ないしは俺に似た経験を経た方が、
   こういうドラマや『おくりびと』を観るにつけ、
   “なに?私も赦さなきゃいけないの?”という
   押し付けがましいメッセージを送られるわけなんだよ。
   それはすごく辛い事であって」
 倉「そう思います。それは暴力的にもみえます」
 鎌「俺の『新・モナーク』では赦さないけども、じゃあ親とどう
   シンクロナイズドしていくのか?どう接していくのか?
   とか。そういう所を描こうと思っている」
 倉「僕もこのような題材をやるのであれば、経験をした方は
   “赦さない”という形で封じ込めて終えている方もいると
   思います。それは間違いではないし、実際赦せないですよ。
   赦せないですけど“赦さない”しかなかった自己の選択肢に
   “赦す”という選択肢も有り得たのかな?と考えるきっかけに
   なるのだったら、答えではなく、結論ではなく、もう一度考えを
   巡らす、赦す/赦さないを越えた、自己の成長を見つめ返す、
   そんなエンドの映画だったら存在してもいいのでは、とも」
 鎌「正にその通りで、赦す/赦さないという二元論のテーマ自体が
   低次元なんだよ」
 倉「そう思います」
 鎌「親子って、赦す/赦さないで括られる様な存在ではないんだよ。
   倉田監督も以前、父に言われた言葉に怒りや悲しみを覚えた
   話をしてくれたけど、それで父を赦す/赦さないという次元で
   父を、親を考えるんではなくて、人は色んな事象、複雑な心情を
   コンプレックスさせて、自分なりにどう親というものを理解
   していこうかとなっていく訳でね、倉田監督のように。
   その発言を赦すかどうかなんて、安易極まりないよね」
 
 
“簡単に赦す、赦さないでカギ括弧を付けないでくれよ!”
 
 倉「僕も鎌田さんも創作の場にいるので、多分有難い事に、こういう
   複合的な頭の回し方ができやすいだけなのかもしれません」
 鎌「かもしれない。いつの間にか、だったけどね」
 倉「僕もです。できるなら“親”というものを理解する、自分なりに
   親という対象の捉え方を作るとか、赦さないけどその行為を行っ
   た理由や心情を探ってみるとか。それは赦す為の行動ではなくて。
   赦さないけどネガティブの世界に自身を封じ込めるのではない、
   新たな向き合い方を自分で歩いて探すというか。
   なんと言ったらいいか分かりませんが・・・」
 鎌「その“なんて言ったらいいか分からない”事こそを、
   我々物書きが、映像の作り手が、クリエティブなものに関わる
   者たちが、考えていかなくちゃいけない所だよね。
   簡単に赦す/赦さないでカギ括弧を付けないでくれよ!と」
 倉「その通りだと思います。まだまだ話し足りない気もしますが、
   今回のシメを宜しくお願いします」
 鎌「はい。やはり全ての人々が考えている事、感じている事って、
   赦す/赦さないのレベルではない、もっと複雑なもので構成
   されていて、それを安易に、ご都合主義で描くというのは
   実際にそれを経験した人を苦しめてしまう事もあるんだと。
   第二、第三の鎌田家の親戚を生んでしまっているんだと(笑)」
 倉「(笑)」
 鎌「モノ創りの現場の方々は、それらを熟考しながら、
   作品というものを創って頂きたいと思います。切に」

shinya008_04

 

第九話へつづく・・・




2010.10.25