閖上、ゆりあげって読むんだぜ。

撮影/文・鎌田浩宮

ボランティア
なんて
肩ひじ
張らなくって、
いい。
ぶらり、
行こうぜ。

 

今年の2月の頭、東北にて復興支援関連の仕事をしている、ワオ君(仮名)の家にお邪魔してました。
心優しいワオ君は、僕が訪れる前から、この日はどこそこへ、この日はあそこへと、細かく予定を立ててくれていました。

大体いつもは温泉に行こう、とかになるんですが、今回は珍しく、被災地に行ってみない?と誘ってきました。
311を経て、僕もようやく被災地を回る心の余裕ができたのを、察したのかも知れません。
(と言いつつ、僕は2012年から相馬には行っていましたが)

仙台のすぐ南、宮城県名取市に、閖上(ゆりあげ)地区という所があって、そこで朝市があるって言うんですね。
その名も、ゆりあげ港朝市
漁港のある閖上では、約30年前から、日曜祝日に朝市が開かれていた、と。
震災直後から、すぐに復活して頑張っているらしい、と。

朝市の様子は、こちらをご覧下され。
http://yuriageasaichi.com/

名取市にて震災で亡くなった方は900人以上、そのうち閖上で800人以上の方が亡くなったと聞いています。

でもこの日土曜は、東京でも45年ぶり、仙台では何と78年ぶりの大雪
なので、朝市の方に電話をすると、こんな雪でへこたれるわけがない、明日日曜は必ず開催するって言う。
でもってワオ君、ずっと前からレンタカーを予約していて、絶対キャンセルしない、行く、って言うのよ。
だって、テレビでは盛んに
「外出は控えましょう」
って言ってるのによ。

そして、翌朝。
朝8時、出発。
マンションの、僕らの部屋の玄関開けて、笑っちゃった。

2階の廊下にも、雪吹き込んでて、積もってるんだもん。

エレベーターの前も、雪が吹き込んで、開かなくなっちゃってる。

雪はなんとか、止んでくれていたです。
暴風も、おさまっている。

スニーカーではとてもじゃない、ワオ君の長靴借りで、行ぐ。
雪の深さは、膝下くらい。

レンタカー屋に着くと店長さんが、この寒いのに、車に水をかけて、素手で窓ガラスに積もった雪を溶かしてくれてました。
こんな日に車を借りるなんて、迷惑じゃなかろうか?
車に積もった雪、車の通り道の雪かきも3人で30分くらいやって、でもタイヤが空回りして前に進まなくって、何とか出発。

対向車線が、見えない。
雪に、車輪を取られる。
轍のせいで、車が上下にがくんがくん揺れる揺れる。
スピードは、出せない。
運転するワオ君、かなりしんどいのでは?
この大雪で、交通量が少ないのが、救い。

トラックが立ち往生してる。
助けたいけれど助けられないので、ごめんなさい、お先に行きます。
つーか、僕らも立往生したら、どーすんだろー?

雪に埋もれる、コンビニエンス・ストアー。
何とか駐車できるので、営業してます。
店員さんも、通うの、大変だ。

仙台から、名取へ。
高速道路は、もちろん通行止め。
下を、がくんがくん走ります。

両脇の田んぼも、遙か彼方まで真っ白。
北海道を走っているみたい。

 

役場
ばっかし、
責めないで。

 

そして、通常の何倍も時間をかけ、閖上港朝市の場所に着いたんだが…お休みだった!
開ける気合はあったんでしょうが、お客さんが来るわけがない、と踏んだのでしょうか。
僕ら、ショック…。

辺りは、津波で全て流され、更地になったまま。
相馬と同じで、見渡す限りが平原。

復興計画が、うまくいっていないとの事。
この地に盛り土をしてかさ上げをし、震災前の自分の土地に家を建て直したいという意見と、地区ごと高台の方に移転しようという意見と。
復興が遅れると、マスコミに批判されるのはいつも行政なんだけど、ワオ君は復興支援をしているので、役場がどれほど双方の意見を聞き頑張っているかを理解しています。
対立した意見はまとまらないので、役場がどちらにするか強引にでも決めて動くしかないだろう、とワオ君は言ってました。

僕らは、高台にある神社へ行きました。
この高台は、日和山といいます。

とっても小さい神社でした。
富主姫神社
震災後、造り直されたんだなあ。

神社に登り、亡くなった人達にお祈りをすると、ふきっさらしのそこは風がとても強く、寒く。

風が強すぎて、僕、何喋ってるか分からないでしょ。
周りに人、誰も歩いていないでしょ。

小さな塔がある。
近づいてみる。

やはり、そうか。
東日本大震災、と書いてある。

こういったものを見るのは、つらいものです。
全てお祈りをしてから、写真を撮らせてもらいました。

震災前の写真が、ありました。

日和山に登る階段の手すりさえ破損し、登るのも大変だったそうですね。
今は修復してます。

閖上湊神社というのは、ここから600mほどの所にあったもの。
今は、ここに祀られているようです。

絵馬があった。
遠くから来てるんだなあ。

さて、そろそろ帰るのかと思いきや、ワオ君、
閖上さいかい市場へ行こう」
と言い出す。
なんですかいそれは?

http://natori.in-shoko.com/saikai_ichiba/

震災後、プレハブで造った商店街との事。
さいかいは、再開、再会の意味との事。
そこで朝ごはんを食べられるだろうとの事。
僕ら、港の朝市でごはんを食べられると思って、何も食べずに出てきたんです。

「あれえ、どの辺だったかなあ?」
ワオ君、迷いながら運転してくれます。
お。
ここじゃないかなあ。

 

その
スコップ、
貸して
もらえませんか。

 

この時、10時頃だったかな。
さいかい市場の商店街の皆さん、店も開けられず、雪かきをしてました。
決して小さくはない駐車場を、20人くらいで、懸命に。
膨大な雪の量にあっけにとられ、スコップを借り、僕らも雪かきをしました。
「ボランティアの人かい?」
いえいえ、通りすがりの者でございます。
お茶をどうぞと言って下さいましたが、まだ少しも貢献してないので、もう少し頑張ります。

数十分もすると、雪なんて軽いのに、体のあちこちがきつくなってきます。
「キャマダ、泥かきの時は、1時間以上も休まずやったんだよ」
ボランティアで被災地へ何度も行って、泥かきをしたワオ君。
体力がなくって、僕、情けないです。

10時半過ぎ、忙しいのに、中華料理屋さん・豊華が店を開けてくれました。
雪かきの途中なのにすいません、失礼します。
「麺類ならすぐできますよ!」
わあ、嬉しい!

立派でしょ?
プレハブじゃないみたいでしょ?
あったかいんだよなあ。

メニュー、こんなにあるのさ。
またゆっくり来たいさあ。
この店の名物の、キムチを出してくれました。
もう1つの名物、水餃子を2人前頼んで。
お?
名古屋名物の台湾ラーメンがあるではないか。
なんで?
ご主人、名古屋の中華料理屋で修業されたとか。
さらには、オリジナルの、豚骨台湾ラーメンというのがある。
これを2人前!

いやあ、どれもどえりゃあ美味かったです。
こう書いていても、また食べたくなる。

素敵な路地でしょ?
お肉屋さん、お魚屋さん、床屋さん、写真屋さん、花屋さん、お米屋さん、酒屋さん、お寿司屋さん、等々。

食べ終わって、また少し雪かきをしたら、コーヒーを飲もうと他のお店の方に誘われ、お店の中でお喋り。
コーヒー、ごちそうになっちゃいました、ありがとうございます。
その店で、ようやくお土産を発見。
閖上で沢山お土産を買いたかったんです。
復興のお役に立ちたかったし。

それは、魚料理の詰め合わせセットでした。
閖上で獲れた魚ですか?
「まだ漁港が再開してなくってね。それに、放射能とかもあるから…。震災前は漁港で魚を買えたのに、今はスーパーで買ってるのよ」
魚は国内外のいろんな場所のもの。
「キャマダの、ジデン。」にも出てくる和田先生と、奄美大島の大好きなおじさんの所へ発送してもらいました。

店の外に出ると、写真が飾ってありました。
サンドウィッチマン、モーニング娘。

AKB48。
皆、来てるんだなあ。

なんて眺めていると、お肉屋の女将さんから、肉まんをいただいちゃいました。
皆、なんて優しいんだろう。
お礼にお土産になるものを買いたかったんですが、なまものしかなくって、残念!

お土産を探したくとも、殆どのお店は雪かきで閉めています。

その後、お米屋さんに入りました。
ここでは、灯油も醤油も売ってます。
ここでも、お茶をいただいちゃいました。
旅は、素晴らしい。
閖上の皆さんは、大雪の真冬でも、心はあったかだ。

この店で、見つけた!
このお店のお姉さんが編んだ、巾着袋。
全部買いました。
帰って、修おじさんや友達やお世話になった人にプレゼントしました。

 

寅さん、

いいんだなあ。

 

すごい。
だいぶ片付いたなあ。
車も置けるようになった。

そろそろ、次の所へ行きますね。
ワオ君の立ててくれた綿密な計画では、もう1ヵ所被災地に行く予定だったんです。
いい旅だなあ。

この映像は、僕の撮影じゃないです。
閖上の民謡、皆で歌ってます。
いい歌だなあと思って、掲載しましたよ。

寅さんって、町をぶらぶらしてて、困ってる人を見かけると、助けて。
それが進んでいって、最後の第48作では、神戸市長田区を通りがかった寅さん、阪神淡路大震災の復興の手伝いをしてる。
寅さんにとっては、電車内で立っている人に席を譲ったりする延長線上に、神戸があっただけなんですよ。

だからね、ボランティアに東北へ行くの、大変だなあって思ってる人もね、近所を歩いてて、困ってるおばあちゃんとか、体の不自由な人を見かけたら、助ける。
それでいいと思うんです。
そんな日々の延長線上に、東北があれば、いい。
そうじゃないと、東北へ支援には行くのに、自分のごく身近で困ってる人がいるのを、見失ったりしちゃう。

311の直後のゴールデンウィークとか、首都圏から東北へ支援に行く人が多くって、ボランティア渋滞なんて起きたりして。
でも、今、震災も原発事故も、風化しちゃってるでしょ。
そんな事と、対になってる気がするんです。


2014.03.28