EPSTEIN TALKS ABOUT FUTENMA#5 「基地のそばで、暮らしてた。」

5/10(月) 8:52am 鎌田浩宮
 
おはようございます。
 
土曜日曜ってぇーのは、
ニュースバラエティー番組の多い曜日でござんして
片目だけ開けながら
少しだけ眺めてみたんですが
まあ相変わらずひどい論調ばっかりですね。
 
こんな論調ばっかりシャワーのよーに浴びている視聴者は
なんだかその方向で世論が1つにまとまっているような
錯覚をするんでしょうね。
 
腹立たしい。
 
テレビのコメンテーターなんて
akeyboさんが言ったように
機密費から金をもらっている奴等ばっかりなのに。
 
僕、相撲が好きだったもんで
少し前に、舞の海さんの講演会に行った事があるんですよ。
 
彼はスポーツキャスターとしてニュース番組に出ますから
スポーツ以外のコメントを求められることもあるんですよ。

「全てのTV出演者は、事前に発言内容をチェックされる」 

ただし、事前にプロデューサーに呼び出され
「今日は○○の問題について放送するんですが、どんなコメントをしようと思っていますか?」
と事前チェックされるそうで、素直に答えると、
「ああ、その手の発言は控えてください」
と、NGワードを事前に教えられるんですって。
 
例えば三浦和義のニュース。
数十年前に過熱報道があって
その後無罪が確定し、
三浦はマスコミ各局を全て名誉毀損で訴え、
全て勝訴し、
マスコミは多額の慰謝料を三浦に支払った経緯があり、
それ以来、
マスコミはその手の報道に関して
完全にビビっているそうで、
舞の海さんは結局どの問題に関しても
「ああ、そうですね」
くらいしか言えないそうなんです。
 
だからNGワードのない講演会では
生き生きと喋ってて、格好良かったなあ、雄弁で。
朝青龍問題、八百長問題、etc・・・、
ここでは書けないほどだ、ってか。
 
だから、
この普天間の問題も、
テレビに左右されない世論形成を目指すべきなのかなあ。 

「基地から1km離れただけで、世論は変わるのか」
 

さてさて、
以前akeyboさんは横田基地の近くに住んでいて、
基地のすぐ近くに住んで騒音を浴びている住民と
そこからたった1km離れた所に住んでいる住民でも
世論が違うんだ、
というような事を言ってくれてましたよね。
 
その辺のこと、
もう少し教えてもらえませんか?
 
というのはですね、
沖縄でも似たようなことがあるんじゃないか、
と思うんです。
 
那覇などの都市部に住んでいる人は
比較的客観的に問題を捉えつつも
基地で働いている日本人などのことを配慮し
意見するのを控えてしまう、とか・・・。
(だって、普天間がなくなりゃ、そこで働いていた人は失業するわけですから)
 
要は、世論形成の温度差、
という話なんですが、いかがでしょう?

 okinawa (31)

5/11(火) 12:00pm akeybo

連日過熱報道というか挑発言論の喧しい限りですね。
このテレビ(ある友人は「ゲゲゲの女房以外のテレビ」と言っていました)を付けている時間はかなりモノを考えない人でも、身の回りの対人関係で時折、いやしょっちゅうでくわす、
「不平不満だけの誹謗中傷陰口悪口を聞かされるのみならず、機嫌を損ねない様に同意や相づちを打つ事を結果的に強要されているヘンなひととき」
と感じ出しているんじゃないでしょうか。
頻繁に行われるアンケート調査は、まさに相づち効果のみ吸い上げているんだと思います。
参議院選挙が終わるまで、テレビしか見ないお年寄りなどを中心に、
オレオレ詐欺の様に執拗にしかけてくるんでしょうね。

普天間の騒音のことなんですが、
騒音って真上を通られるのと、そこから離れるのとでは、
ちゃんとしたデータがあるわけではないですが。ものすごくdbが違うんですよ。ある程度離れちゃうと、同じ平面のdbの領域が増えますから、共通の意識持ちやすいと言うのがあるんじゃないでしょうか。

「僕も、基地のそばに住んでいた」

僕が横田基地の側に住んだのは、中学1年の2学期からです。
それまでは、グーグルアースで確認してみましたが_滑走路から2キロ程離れた基地の東側の街に住んでいました。そこでは確かに、夜中のエンジンテストとか、特に戦闘機の離発着ですね、あれはマフラーのないバイクをもっと酷くしたやつですから。大きな良く通る音ではあるのですが、会話ができなくなるほどではなっかたです。

引っ越したのは横田基地の滑走路の真南側500メートル、空路から170メートル東側です。昭和30年代半ばまでは商店街が広がっていたところです。ジェット化に伴い騒音レベルが上がり、次々に人が去り、70代の初頭まで、広大な廃墟の街となっていたところです。
うろ覚えなのを確認してみると、76年に横田基地校訴訟が結審して、夜間発着などが禁止になり、それに伴い宅地化が始まった区域でした。

戦闘機の離発着音は雷が落ちたようで、ギャラクシーなどの輸送機、ヘリコプターなどでもピークは戦闘機ほどではないにしても前に住んでいたところよりも格段大きく、しかも速度が戦闘機より遅い分滞空時間も長い。外にいたら会話など無理なレベル、家屋内でも低音振動もすごかったです。

転校先は確か何度か騒音公害の報道で紹介された学校で、
うちから更に2キロ程南で、航路を挟んでうちとは逆側、西側に200 メートルぐらいのところです。確か日本で最初ぐらいに2重窓になった学校だった様に記憶しております。
1年生の終わりの頃かな、ピアノが上手でクラスで一番頭が良い女の子がいまして、(僭越ながらぼくは2番;)その子がインフルエンザかなんかで休んで、教材かなにかを、担任から、お前家近いだろ帰りに渡してやってくれ、ということで学校の帰りに彼女の家に寄ったんです。
で彼女の家というのが、僕の家よりも空路に近い、多分100メートル以内は確実でもしかしたら0メートルに限りなく近い場所で、旧市街地の真ん中でしょうか。

「基地にどのくらい近いかで、騒音被害は全然違う」

平屋の小降りな一軒家のベルを押して玄関に入ったら、目の前の部屋一杯にグランドピアノがありました。おわっ!と驚いていると、奥から照れくさそうにでてきた彼女に「これさ君に渡せって言われてさ」と渡しました、あちらがそれにまたさらに照れくさそうにお礼を少し言いかけたかな?もともとものすごく声の小さい子で、何を言っているのか普段から全くわからないんですが、小さな声で眼鏡っ子が口を尖らせてボソっと喋ったぐらいで、さっきから段々近づいてくるなあと爆音が、着陸態勢に入った輸送機輸送機の音が今までないレベルで大きくなりました。
ぐわ????ん、ゴゴゴーーーっっっ!
自分のうちだと窓がきしむことはありましたが、ここは更に酷い。壁、床、ともうポルターガイストか!って思う位その爆音の中で家全体が揺れるんです。
もしかしたら部屋いっぱいのグランドピアノも共振していたのかもしれませんが…飛行機が去った後もしばらく何にも聞こえなくなるぐらいの爆音でした。

彼女、その後国立音大に進んだときいていますが…もしかしたらものすごい不協和音系か妖精のような癒しのピアニストどちらかになっているのかもしれませんが、今となっては名前も忘れてしまったので確かめる術もありません。

あと、当時の学校の雰囲気は主観的なものがほとんどなので割愛しようかなともおましたが、主観的な人の印象ですが、折角なのでちらっと書きます。

転校初日で驚いたのは、全員が非常に冷たい印象。生徒も先生も。
僕の住んでる辺りは名ばかり東京と良く言ってたところで、農家も多く、地元の僕の親の同世代のおばさんなんかは「おれ」と自称していたり、高度成長期の人口流入はあるのですけれど、職場も三多磨内の人が多いせいか、なんというかのんびり田舎町という感じでしたので。がさつだったりはあるけれど今まで感じた事のない悪意みたいのをしょっぱなから感じたのですが、まあ転校ゆえのナーバスさだろうと自分でもタカを括ってたのですが、まあ結果から言うと、猛烈荒んでましたあ 笑。

結構そのころの涙ぐましい努力を書きながら思い出しました。
みんなね、アホはアホだからしょうがないとしまして_しかしこのアホが僕の友人の主力になるんですが、既に絶対数少ない 笑、ふつーの子も、ヤンキーの子もまた先生も、「人の話聞かない」のと「悪い方向に考える」。
で、どーもね、集中力に著しく欠けるというか、もしかしたら耳が遠い?んじゃないかという、話している途中に空白の反応にでくわすんですよ。でその空白の反応のあとは、アホは空白なんかありえませんが、先生やふつー子は、なんかよくわからないことをつぶやき、ヤンキーはいきなり殴り掛かってくる。
まああの3年間がなければきっと平和や人権や環境やら人間そのもののことなど、学校出たら忘れきって好きな仕事に精出す人間になってたと思います。そういう自分語り的な側面もあるのですが、その前にいた基地から3キロ程はなれた中学校と明らかに違い。何か夢のない、妙に大人びた(老け込んだ)ホラーな雰囲気がたちこめた学校だったなと記憶しております。

PS:ところで、移転先候補のグアムの知事さんがいらっしゃるみたいですが、
お名前が、「カマチョ」さんですね。。。
カマチョとカマチョのツーショット写真あったらいいね!

2010.08.01