玉音ちゃんradio 第28回「73歳のジョン・レノン」

文・鎌田浩宮

Dear
John Lennon
1940.10.9 – 1980.12.8

これまでのあらすじ!

両親の不和により小学1年生の僕・鎌田浩宮は、母の弟・實おじさんの家に預けられることになる。
短気で口より手の早いおじさんに初日からひっぱだかれ泣きはらす僕だったが、實おじさんの聴いているビートルズに僕が興味を示し、その距離はマッハで縮まっていくのであった…。

 

「おじさん!ビートルズは何語で歌っているの?」
「しろあき(僕の本名は浩昭だが、おじさんは「ひ」と「し」が言えない)!こりゃあ英語だ」
「歌ってみたいなあ…」

ある日おじさんは、喜び勇んでカレンダーの裏紙を持って来た。
「しろあき!歌詞、書いてきたぞ」
カレンダーの裏の白紙を見てみる。

ユー ゴナ ルーザー ガール(イエス セシゴナ ルーザー ガール)
ユー ゴナ ルーザー ガール(イエス セシゴナ ルーザー ガール)

歌詞を曲の全部カタカナにし、数十行も手書きで書かれている。
仕事で忙しいのに、いつ書いてくれたんだろう。
「しろあき!これなら歌えるだろう!今、レコードかけながら教えてやるからな」

You’re gonna lose that girl
(Yes, yes, you’re gonna lose that girl)
You’re gonna lose that girl
(Yes, yes, you’re gonna lose that girl)

こう歌う4人の声を聴きながら、おじさんが指でカタカナをなぞってくれる。
「おじさん、すごいよ!歌える!僕、一緒に歌えるよ!」
「しろあき!ここはな、ジョンが歌っているところに、ポールとジョージがコーラスでかぶせてくるんだ。そこ、練習すんぞ」
「できたできた!まるでビートルズみたいだね!」

その日から、毎日のようにおじさんと僕は、レコードに合わせて、この曲を歌った。
1日に、何回も、何回も。
僕は、この時から、ジョンのリードヴォーカルを好きになったのかも知れない。

その歌は、こんなタイトルなんだ。
You’re Going to Lose That Girl (邦題:恋のアドバイス)

「しろあき!今日の深夜、FM東京で、ビートルズ特集があるぞ」
「夜中の3時?!起きていられるかなあ…」
「大丈夫だ、俺が起きていて、ラジカセで録音してやっからな。楽しみにしてろな」

そのラジカセは、クリスマスにサンタさんからもらったものだった。
「しろあき…サンタさんには、もっと安い物を頼んだらどうだ」
「いやだ、これでビートルズやウイングスを録音するんだもん」
クリスマスの数日前、おじさんの家に、僕の母と、修おじさんまで集まって、神妙な顔で緊急会議をしていたのを覚えている。
「しろあき…サンタさんに感謝すんだぞ…」

さて、夜が明けた。
「しろあき!ビートルズ特集、録音できたぞ」
すごいんだ。
おじさんの持っていないアルバムからのいろんな曲が、沢山録音されている。
「おじさん、ありがとう!」
1曲目から、聴いていく。
これはどうやら今振り返ると、ビートルズ唯一の2枚組アルバム、通称ホワイトアルバムを通しでかけてるんだな。
これは長いぞ。
おじさん、よく起きていたなあ。

そして、10曲目。
ジョンのリードヴォーカル。

疲れ果てたよ、という意味の曲だ。
I’m so Tired

疲れ果てたよ 一睡もしていない
疲れ果てたよ 頭がちゃんと働かない
起きあがって飲み物でもつくろうか
いや やめとこう

サビのところ、少し空白があるでしょ?
そこに毎回、いびきの音が入っているのだ。
絶妙なタイミングで、指揮者でもいるかのように。
僕は子供心に、そういう効果音を入れた曲なんだと思っていた。
まさかそれが、力尽きて深夜失神したおじさんのいびきだったと知ったのは、いつだっただろうか!
おじさんも、僕も、腹を抱えて笑った。
涙流しながら、笑いまくった。

僕はさらに、ジョンのヴォーカルに魅かれていくのだった…。

そして、小学6年生になった。
1980年12月8日。
僕は、ラジオの前で号泣した。
もう、ジョンと会えないんだ、ビートルズの再結成もなくなったんだ、ジョンは殺されたんだ。

先日も感想を書いた、映画「愛しのフリーダ」。
ビートルズの秘書だった少女、フリーダ・ケリーがあの頃を回想するドキュメンタリー映画。
4人は素敵な人達だった、とは言うものの、ジョンについては一言あった。
「歯に衣着せぬ物言いで勝手なことばかり言う人。口論したこともあった。本当は優しいのに、それをあまり表に出さなかった」

ビートルズ日本公演で、4人と会った湯川れい子さんもおっしゃっていた。
「ジョンだけは、私の顔を見ないの。私がジョンを見つめようとすると、ぷいっと顔を背けてしまうの」

僕は、何となく、解るのだ。
ジョンほどではないが、僕も不幸な家庭環境だった。
そのせいかどうかは分からないけれど、自分を防御する術や、自分をどう見せるかということを中心に考えてしまうのだ。
僕が自然体でいられるようになったのは、ひょっとしたら、ジョンが命を奪われた40歳を越えてからだったかも知れない。

そして今年、ポールが日本に来て、ジョンに捧げる曲を歌ってくれた。
Here Today

でも 僕はといえば
昔のことをまだはっきりと憶えているよ
溢れる涙を無理に抑えるのはもうやめたんだ
僕はきみが好きだ

僕らが初めて出会った時はどうだったかな
多分 きみならこういうだろうね
二人とも がむしゃらにプレイしていたって…
僕たち 何も分かっちゃいなかったけど
でも いつだって歌うことはできた

今こそ こう言おう 僕は心から きみを愛してた
きみが僕の前に現れてくれて嬉しかった
きみはいつも 僕の歌の中にいた
そして 今も…

 

ポールも、僕らも、齢を取った。
實おじさんも、64歳の若さで、去年逝ってしまった。
ジョンが生きていたら、73歳だ。

おじさん、ジョン、日本は遂に、戦前に戻っちまったよ。
秘密保護法、成立。
そのうちアメリカのように、イマジンが放送されない時も、来るのかも知れない。
でも、パワー・トゥ・ザ・ピープルだ。
パワー・トゥ・ザ・ピープルなんだ。

最後に、これまでのエプスタでのジョンの特集は、こちらと、こちら
ジョージとジョンのW特集はこちらです。


2013.12.08