二番館へ走れ:第3回 『28週後』

 人を凶暴にする伝染病によって壊滅したイギリスを描いた『28日後』の続編。感染者の餓死(!理性を失い食事もとれないのだ)を待って軍管理下で都市の復興が行われている。治療法は発見されず、あまりの凶暴さと感染力の強さのため感染者は発見次第射殺される。感染者と非感染者を群衆の中で区別することは不可能なので軍は住民全員を処分する「コードレッド」を計画していた。もちろんコードレッドは発令される。

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 もしかすると間違えている人がいるかもしれないから念のために言っておくとゾンビ映画である。感染者とは走るゾンビである。走るゾンビが普及したのは前作『28日後』以降だ。ゾンビ映画とは暴動の映画であると言われるが、それは正しい。現在のゾンビ映画の原型である『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が独立プロの米国映画で六十八年の作品というのは偶然ではない。同時代の米国がどんなだったか想起して見れば良い。

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 暴動の結末はいつだって武力による鎮圧だ。暴動の拡大による社会秩序の崩壊は短い夢に過ぎないし、長期化すれば自壊する。一方ゾンビはひたすら増え続けるので既存の社会秩序の方がもたない。だが武力鎮圧=対ゾンビ戦を軍事行動として描いた映画はあまりなく、真正面から描いているのは多分『28週後』が初めてだ。軍は毒ガスを使い、非感染者を含めて無差別射撃をし、最終的には街ごとナパームで焼き尽くす。軍隊が優先するのは個人個人の命ではなく政府であり国土であり社会秩序である。一般人と暴徒の区別なんか知ったことかというのが本音だろうし、事実一般人と暴徒の間にはほとんど違いなんかない。状況によっては一般人はたやすく暴徒へと越境する。感染者と非感染者の区別がつかず、誰もが簡単に感染者になるように。というか、暴徒、とは権力の側からの規定でしかない。コードレッドのさなかに非感染者が生きるために兵士の銃を奪えばそれは理性があっても暴徒=非感染者の行動とみなされる。軍隊の本質をこうあからさまに描いた映画はそうはないだろう。

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 前作の発端がそもそも動物実験施設に侵入したアニマルライツの活動家が自分の解放した猿に襲われて発症するという意地の悪さである。悪意は今回も健在で、冒頭で妻を見捨てて逃げた夫の負い目がコードレッドの発火点となる。再会した妻への仕打ちには目を覆わんばかり。
この映画は〇八年の公開時新宿歌舞伎町の東亜会館で見ている。あそこは映画館が四つ入っていて、僕は正直名前の区別がつかず、オデオンだったかグランデだったかわからない。地下の劇場だったと思う。土曜の終夜興行の終電前の回だった。客も二、三十は入っていたと思う。しかしそれから一年で歌舞伎町の映画館は壊滅、〇八年初めで十を数えていたが現在は東急系の四館だけになってしまった。シネコンが二つ新宿にできたためと思われる。あれが増えても選択肢増えないのに。

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2010.08.11