エプスタ編集長による番外編『スケッチ・オブ・ミャーク』(後編)

文・鎌田浩宮

さてさて、長い前置きが終わったよ。
前編では、この映画を語る際に、どうしても知っておいてほしい沖縄の文化について、書いたつもりだよ。

東京は恵比寿の、写真美術館という風変わりなコヤで、2012年10月19日に観てきました。
期待に胸ふくらまして、1番前のど真ん中の席、ふんぞり返ってました。

冒頭から、いいんだ!
タイトルバックと共に、歌声だけの宮古の古謡に、麻琴さんがギターやドラムス、三線などをオーヴァーダビングしたブルージーな曲が流れる。

 

ワールドミュージック
の、
終わり
と、
復活。

 

このyoutubeの、1曲目がそれ。
ちなみに2曲目以降も、劇中に度々流れる。

1曲目、すんごくいい!
宮古のさとうきび畑の道を、車で駆け抜けていく感じ。

1990年代から音楽業界全体が衰退していき、感度の高いミュージシャンは、何とかヒントを得ようと思って、世界各地に点在する民族音楽をサンプリングし、そこにシンセサイザーなどをオーヴァーダビングして、ワールドミュージックなるジャンルを新たに形成していく。

かく言う僕も、当時はアイヌのユーカラや、トンコリという楽器をサンプリングして、曲を創ったりしていた。

でも、こういった音楽が氾濫しすぎてしまって、世界中の心あるミュージシャンは反省するんです。
「私達は、第三世界の豊かな音楽を『消費』してしまってやいないか」
って。
それで、ワールドミュージックは沈静していった。

でも、今回の麻琴さんのは、違う。
消えつつある宮古の古謡に、新たな息を吹き込む作業なのだ。

 



見え、
聞こえる。
それ
が、
当たり前。

 

宮古では、かつて沖縄のどこでもがそうだったように、定期的に神事を行ない、女性が徹夜で、あるいは何日も、祈りや歌を捧げていた。

彼女達には、自然の神様が聞こえたり、見えたりする。
前編の記事に張り付けた予告編を観てもらうと、そういったインタビューがある。

他にも劇中のインタビューで、女性が御嶽に入ったら、なんとそこに馬がいる…、宮古では馬を放牧している訳でもないし、どこから来た馬なんだろう?
不思議に思いよく見ると、それは馬の神様だった、というシーンがある。

こんなことを東京で言ったら、フラー(ウチナーグチ(沖縄の言葉)で「気狂い」)だと思われる。
しかし、だ。
同じ日本でも、東京での常識と、宮古での常識は、違うのだ。

都会では脱原発が常識なのに、原発立地県では原発推進が常識なように、自分のいる場所の価値観が、この国では、こんなにも通用しないのだ。

宮古では、自然の神様との距離は、近いのが、当たり前。
なんで東京では自然の神様にお祈りしないわけ?
ばちが当たるさ。

彼女達が御嶽で祈りを捧げていく過程で、神秘体験をするのは常識なわけ。
(もちろんそこに至るには、厳しい修行があるかも知れないが)
馬が見えても、誰も訝しがらないどころか、それは吉兆かも知れんと喜ぶかも知れん。

この予告編の映像を観てみてね。
途中で、綱にも繋がれていない馬が、道路を駆け巡る。
そうだよ、僕らにも、見えるかも知れんのだ。
そういった魂の回路に、蓋、しちゃってるだけなのだ。

このシーンで、涙、出た。

これは単なる、アフリカ的段階にいる彼女達と、ヨーロッパ的段階にいる僕らの、差異なのか?
いや、魂の回路の蓋、外せば、見えるのだ、戻れるのだ。
だから、涙、出たのだ。

祭りの時、男はなぜか、スーツに着替える。
これも、都会とは、価値観が逆。
微笑ましいシーン!

ブルーズ

よう
に、
残れる
か。

 

つらい労働の中から生まれた、古謡。
歌いながら人頭税のための作物を作る姿が、アメリカに連れてこられた黒人奴隷が、綿花畑で歌いながら働く姿と相似すると麻琴は言う。

黒人はそうして、ブルーズというジャンルの音楽を創った。
それは商業化されたおかげで、歌は保存され得て、魂は記録されて、現在に至った。

商業化されれば、宮古の文化も、生き残れる道が見つかるのではないか。
だから麻琴は、必死に録音し、映画にしたのだろうか?
生き残る、奇跡を信じ…。

そして映画の舞台は、東京に移る。
なんと麻琴は、高齢の唄者たちを東京に招き、コンサートを開くのだ。

おばあ、おじいたちも、決死の覚悟だったのでは。
高齢に、長旅はきつい。
しかし、生きているうちにこの歌を残すのだ、1人でも多くに聴いてもらうのだ、という思いで、狭いエコノミーシートに座ったのか。

この


せい
で、
上映中
に、
拍手
しちゃいました。

 

ステージに上がる歌い手の中には、何と子供もいた。
嬉しいねえ!

この子が、大勢の観衆の前で歌うんだなあ。
あんなに上手に歌えたのに、途中で歌詞が飛んじゃって、歌えなくなるんだよ。
思わず、ステージで、泣きだす。
曲が、終わってしまう。
麻琴が心配して、ステージから降ろしてあげようとすると、この子が首を横に振るんだなあ。
「次の曲は、しっかり歌うそうです!」
ここで僕は、上映の際中なのに、思わず拍手しちゃった。
ちばりよ!ちばりよー!って。

ああ、書いてて、今も涙、出てくる。

こんな
にも、
切ない、
カチャーシー。

 

沢山の唄者が、歌い終わった。

沖縄では、何をしても最後はカチャーシーと決まっている。
結婚式でも、祭りでも、集会でも、なんでもさあ。
カチャーシーってのは、催し物の最後にやる、とびっきり陽気な曲のこと。

この東京でのコンサートも、最後は、カチャーシーだ。
これも沖縄では「常識」なんだけど、笑顔で客席の人がどんどん壇上に上がってくる。
一緒に、踊り出す。
それは、輪になる。

僕の涙が、止まんない。
この祝祭は、東京でも、もしかしたら宮古でも、もう行われることは、ないかも知れないのだ。
もう、世界中のどこを探しても、ないかも知れないのだ。

だから麻琴は、無理を承知で、東京に呼んだのか。
なんとしても、もう1回だけ、祝祭をあげたい、祝祭の場を捧げたい、と思い。

この映像は、宮古島の映画館のみの、予告編。

僕がこの記事を書くのに時間がかかったのは、この神事がなくなっていくことに、答えが見いだせなかったからです。
よそ者が何か言うのは、簡単。
でも、神事をするとなると、1年の100日以上をそのことに割かれてしまう。

昔と今は、違う。
宮古でも、子供の送り迎えがあり、共働き世帯で、ヨーロッパ的段階を経過し、女性の自由な時間は少なくなってしまった。

とにもかくにも僕は、上映中にしてしまった拍手を今も鳴らし続け、こうして文にするのです。

 

この映画の、公式サイトです。
http://sketchesofmyahk.com/

また、この記事には、前編があります。
この映画と沖縄を、より一層愛せると思いますので、よかったら、読んでみて下さいね。
http://epstein-s.net/archives/10386


2012.11.20